先日参議院選挙が行われましたね。
今回は、N党から出馬したユーチューバーのガーシーさんがユーチューブを含めたネットを駆使した選挙戦を戦うということで、どのくらい票を伸ばすのかと思っていましたら、なんと比例区で議席を獲得しました。
それに加え、ごぼうの党も選挙日数週間前からの活動にもかかわらず1議席を獲得したということは、快挙と言えるかと思います。
ぼくは、れいわ新選組が誕生したときも快挙だったと思いますが、今回の短期間での選挙戦のこの結果に、日本が崩壊せずに持ちこたえてくれていれば、牙城を切り崩す新たな武器が手に入ったと少なからず希望を感じました。
しかし、「投票デビュー」としてごぼうの党に票を入れた若者はどう見ているんでしょうか。
党首の奥野さんが選挙戦中、ある応援者のユーチューブでの動画への出演による若者への語り掛けでは、5議席得られれば国政政党となることができ、それは昨今の選挙に行かない人のたった12%の人が選挙に行って比例区でごぼうの党に投票すれば叶うということを訴えていました。
それを聞いた、選挙に興味がなく行っても何の意味のないと今まで選挙に行ったことのない若者がどう感じて動いたのかがとても気になりました。
ぼくがその若者の一人だとしたら、例えば、投票会場に行って「ごぼう」と書けば、いいんだと単純に思って、そんな簡単なことだったらそういう人いっぱいいるんじゃないかと期待感を持って開票を見守るかなと思ったんです。
若者のめんどくささ
でも、その動画の中で奥野さんの真隣に座り真剣に耳を傾けているはずのそのユーチューバーの人は、あまり興奮した風もなく、つまりちょっと猜疑心を持ったような面持ちでした。
そして行動で政治を動かせそうだから「よし!そういうことなら今回は投票に行こう!」という感じが薄く、それよりも「ネット投票できればいいのに」ということを言ったんですね。「ごぼうの党が当選したら、まずはネット投票できるようにしてください。そしたら投票します」とでも言いたげに。
今までの政治に不満があって、もしかしたら政治を動かせるかもしれないというある程度期待を持たせてくれる可能性を見せられて、特に投票に行くことでマイナスになることがない状況の中で、投票会場に行って投票するというたった一回の行動に対して「めんどくささ」を表していたんです。
もしも、投票場に行くのに電車を何本も乗り継がなければいけないとか、自分は寝たきりであるとかならわからなくもない。
でも、そういうことがない人の感覚がそういうものなんだなと感じた一言だったんですね。
高齢者のめんどくささ
そのとき思い出したのが、うちの両親のことです。
彼らはほぼ80代ですが、70代の頃、つまりここ10数年の間で、ぼくは事あるごとにネットの利用を勧めてきました。
買い物にしろ、スマホの電子明細にしろ、それこそネットでの動画閲覧にしろです。
とにかくだんだん動けなくなっていくのだから、その前に家にいながら色々できるようになった方がいいだろうという思いからです。
例えば、山奥に住んでいる両親は日頃の買い物のために片道車で1時間とか掛かるところまで買い出しに行かなければ行けません。
さらに、ここ十数年、耳が遠くなってきた母親は、病院に行ったときとか、先生との話に父が介入したり、筆談したりしています。
でも今は、ネットでオーガニックな食材などでも販売してますし、そんな聴力障碍者のための支援ソフトがある時代なんです。
日本語から外国語へ、またはその逆へ通訳してくれる通訳ソフトみたいなもので、スマホに向かって言った言葉を書き起こしてくれるソフトを使えば、紙とえんぴつで筆談するよりよほど速くコミュニケーションが取れると思うのです。
とは言え、昔の人なんでメカやデジタルに弱いのはわかっているので、ぼくが「使い方を教えてあげるから」、「インストールしてあげるから」と言ってもめんどくさがってやろうとしないんですね。
若者対高齢者のめんどくささ対決
これは若者のめんどくささのまったく逆だなと思いました。
ただちょっと違うのは、高齢者のネット対応は、今後の余生に対して習得しなければいけないということがめんどくさいということに対し、若者の場合はスポット的にめんどくさいという感情です。
これから若者が毎日投票会場に投票に行けとなるとめんどくさいのはわかりますが、今後数年の政治を左右する一票を入れるために一回動くことがそれほどめんどくさいのかというところです。
まあ、もう一つ違うとしたら、高齢者がネットで買い物をすれば必ず商品は届きます。
対して、人に勧められて重い腰を上げてやっとの思いで投票しに行って、いざ開票したとしても自分の推していた政党の票が思うように伸びないこともあります。
はっきり言って与党以外はそういう可能性の方が大きいでしょう。
冒頭で、今回のごぼうの党が1議席を獲得したことに対して、若者がどう思っただろう、という疑問に対する自分なりの想像は「え、たった1議席?」「おれ、"がんばって"投票しに行ったのに」って思っているんじゃないかというものです。
若者は今回の結果を見て、「行って損した」という気持ちになってなければいいなと思っています。
それにしても、高齢者の「めんどくささ」の臨界点と、若者の「めんどくささ」の臨界点は本当に相対しているなあと、ハイブリッドな存在である中年層のぼくは、いずれも理解しがたいのです。
いや、両方何となく理解できる。
でも、どちらも「そんなにめんどくさいかなー?」「それくらいなら行動すればいいのに」と思う次第なのです。