大切な人がリンパ腫になったと聞かされました。
現在のコロナ禍において、「できるだけ病院には行きたくないなあ」、「こんな時には病気にならないようにしなくては」と自分のことは思うことが多くなっていました。
自分のことを思うと同時に、その人はもう80歳前の高齢だし、もともと体が強い方ではないので、何も患うことなく過ごしてくれたらいいなと考えが及ぶことも多々ありました。
でもいろいろと間が悪いというか、「なぜこんな時に…」ってことが起こることが多い人なんで、知らされたときは「引き寄せの法則」が働いて起こってしまったのかもしれないなとか考えていました。
まあ目に見えないことだけに、想像するだけなんだけど、普段の心がけって大事ですよね。
で、罹ってしまったことは仕方がない。人間は少しずつ故障していくもんだからね。
深刻な表情
話が急展開?しますが、ぼくは超ド近眼です。
小学生の頃から視力が少しずつ悪くなっていきました。小学生低学年時の検診では1.2あったのを覚えています。それ以降毎年悪くなっていって、その度に親に値を伝えると「えっ!そんなに悪いの」とか深刻な顔で「悪化してるのか」的なショックの言葉を言われたことを覚えています。だからって眼鏡をかけたらどんどん悪くなるからって言われて「そうかあ」って素直に同調して、メガネを作らず視力回復のために眼科に通ったり、暗くなってボールがよく見えないのを我慢して野球をやっていたのを懐かしく思い出します。
まあ確かにこれから何十年も使うことになる目がもう悪くなっていくのかと思うと親の立場からしたらショックでしょうね。またそれを深刻に受け取ってしまうのも仕方ないことです。でもそれを言われた子供は、目が悪くなるってそんなに重大なことなんだってことを無意識に知って、子供ながらに親を困らせたくないというか、心配させたくないという思いが働いて、よく見えなくても見えるふりをしたもんです。でもやっぱり近眼は進行してしまったんですよ。
だから自分が大人になってからは同じような境遇の人が目の前にいるとき、その人が大切であればあるほど、その気持ちを表すことはしないように心がけてきました。
誤解しないで!
あ、念のために書いておきますが、間違っても親を憎んだりそういうことではないですからね。こういう気持ちを経験するのも成長過程ですから。それに当時にしてみたら視力回復のためにかなりの費用をかけてくれたことに感謝してます。
それにもかかわらず回復しなかったのは申し訳ないなと、もちろん子供の頃はそんな感情などなく、自分も単にこれ以上目が悪くなったらいやだって思っていただけでしょうけど、でも今思い返すと自分もいやだけど、そう思わせてしまうのがイヤだなと思ってできるだけ眼鏡をかけないでいいように頑張っていたんだなって思いました。
心配の効能
つまりは、そういう深刻そうな表現をして事態が好転するわけじゃないですからね。心配すればするだけ症状が良くなっていくならいくらでも心配しますが、そうでなければ当人に与えるストレスの方が大きくなり悪循環を与えるだけなんです。
引き寄せの法則をうまく使おう
まあ、引き寄せの法則もそのようなものの一つで、何事があっても「大丈夫大丈夫」って思っていることが大切なんです。とはいえ科学的根拠がないため大概は無責任に聞こえるので、まず本人がそう思うことが大切でしょう。
斎藤一人さんという銀座まるかんの創業者の方がいらっしゃいますが、その方がそういう話をよくされています。ぼくはあまり聴いたことはないですが、本はいくつか読んだことあるし、それ系統の話は他にも多くの人がしてますし、ぼくは賛成で好きで、実践するように心がけています。
これからが大切
だから、今回その人がリンパ腫だと聞かされた時も、周りの雰囲気が重くならないようにすることが大切だと思いながらファーストリアクションをしたつもりです。
どう感じたかな?
ことが事なだけにリンパ腫を軽視しているように思われるかもしれないけれど、決してそういうことではなく、重大なことはもうわかり切っているんだから、それを乗り切るためには如何に気持ちを楽にして、戦いやすくしてあげられるかが大切なことだと思います。そして一緒に考える。
だから、まずは本人がどのようにその病気に向き合うかです。本人にその気がなければ始まりませんが、その本人の気持ちに沿って一緒にこれから何ができるかを考えて、明るい未来を引き寄せたいと思っています。