雑食思想の溜め池

生活していれば自然と湧き出て来る思いの数々。ここは、ぼくの中でゲシュタルト形成や拡張へ向けて流れ着いた、様々な興味の源泉からの思想が集う場所である・・・。と意気込んで始めたものの、だんだんとその色が薄くなってきました。

信じるか信じないかは・・・何次第?

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omoi-tameike.hatenablog.jp

 (この記事は上↑の話から始まってます)


今回、その夫婦と話をしたところ、リンパ腫に加えて腕がむくんで、痛みも出てきたという話を聞きました。

そしてその手を見た途端、妻が

「同じだ・・・」

そう言って自分の大切な人をがんで失ったとき、同じようになったことを話し始めました。

リンパ浮腫

ぼくがその名称を知ったのはその時でした。

リンパ腫とリンパ浮腫の字面は似ているけど全く違うのです。リンパ浮腫はがんの治療部位に近い腕や足などの皮膚の下に、リンパ管に吸収し切れなくなったリンパ液が溜まってむくみ膨れていくものです。

これはリンパ浮腫でも、「がんの治療後」にできる続発性(二次性)リンパ浮腫と呼ばれるらしく、もう一つは先天性のもので、よく「リンパ浮腫は原因がわからない」といわれるらしいですが、それは先天性の場合。

ぼくの大切な人の場合は状況的には明らかに続発性ですね。つまり、リンパ腫の治療(化学療法含む)との関連性はとても見過ごせないと思いますね。

人それぞれ進行具合が違うらしいですが、軽傷から中等症にさしかかるあたりから傷みなど自覚するようになるらしく進行するものらしいです。

「らしいらしい」としか言ってませんが、ぼくも付焼刃的に情報を得ているので「らしい」としか書けないのでその辺はご了承のほど。

ただ、世の中わからないことだらけです。

人それぞれ違うのでお医者さんですら、おそらくいろいろなことに断定はしないでしょう。そこは素人と患者自身の強みで自分の状態をネットなどに溢れている情報と照らし合わせることで自分にとって正しいと思える道を自分の責任で仮定して進めばいいんです。進むしかないんです。進んで違うと思ったらやり直すしかないんじゃないでしょうか。試行錯誤ですね。

こういう時こそ「自分のことは自分がよくわかっている」と言えるんじゃないかなあと思います。

たまに風邪を引くぐらいの人は…どうでしょう?まだお医者さんの方がわかってるかもしれませんね。

ま、そんなことはどうでもよく、今、2人のケースを見てみると両者とも痛みを伴っています。共通しているのは二人ともがんということです。

今の病院では、特に手の膨らみを問題視されてないようでしたが、この二つを関連付けられないのであれば、ちょっと考えものじゃないかな。

気功

妻が話を続けます。

その大切な人のケースでは、毎日、というか常時痛みが続いていて、かなり進行した後に知り合いの気功師にお願いしてたまたまスケジュールが合ったとき一度施術してもらったところ、スーッと痛みが引いたというのです。

それまでの数年間、寝ている間も含め痛みを感じなかった瞬間がなかったところに何年振りかの無痛。その時の幸せはなかったようです。しかし、気功の作用が切れたときに戻って来たその痛みはさらなる激痛だったようです。

そう思うと定期的に施術を受けられない限りたまに受ける施術の意味を考えてしまいます。

このように書くと、気功って一種の痛み止め?と思われるかもしれませんが、そうではありません。

気功の施術を繰り返していくうちに徐々に痛みを感じる期間が短くなっていき、最終的には必要なくなるようにするものです。

ちょっと例えが下品かもしれませんが、ドブ掃除のような感じですかね。完全に詰まっているドブに一筋の水の通り道をつくってあげるだけで、水は流れ始めます。しかしすぐにまた詰まってしまいます。

詰まるスピードより掃除でゴミを取り除くスピードが速ければ水は流れ続けます。そして最終的にすべてゴミを取り除き、ゴミを流さないようにする(健康管理をしっかりする)ことで、その状態を維持する。

でも、やはり西洋医学で使う薬の力は強いので、もしも難聴の薬がリンパ腫の発症に加担しているとしたら自然治癒力を大きく打ち消してしまいそうな気がします。

実際、その気功師の方はまだ若いのにとても腕の立つというか、熟練度が高く、そういう人で世界を飛び回っていたためその人に頻繁に会うことは叶わず一度きりで、やはり病魔の速さは、特にその時点ではかなり進行していたので、逆に酷いことをしたと言っていました。

気功はその言葉自体はおそらく聞いたことがある人は多いんじゃないでしょうか。

ドラゴンボールのような武術的なものがあるからかもしれません。

ぼくも詳しいことはわかりませんが、やはりこういう力は精神との繋がりを大事にしており、肉体と精神を一つのユニットとして考え、ある不具合が生じたらそれに対処するためにも部分的ではなく全体的に健全になることを目指しているようです。

あるときは悪者であると考えられるがんでさえも、その出現にも理由がある(自分を振り返るチャンスをくれたなど)と考え、恨みや憎しみなどの気持ちを持つことなく、「出現してくれてありがとう」とそれをも含めた全体で捉えることが大切だということらしいです。

今の世の中インターネットで様々な情報が入手できるので、詳しくはご自身で調べていただきたいですが、ぼくの理解ではそういうところですね。

レイキ

そして気功に似たもので、レイキというものがあります。

たまたまうちのご近所さんでレイキを使える人がいて、実際に施術をしてもらったことがあるので、今やとても身近なものとなっています。

とはいえ気功にしてもレイキにしても深く研究したわけではないので下手なことは言えませんが、これもとても共感のできる哲学を持っています。

その部分をよく理解して、自分なりの答えや考えを持って自問自答すればだんだんとその世界の深さに共感できるようになると思います。

中でもレイキは一般には知られていないだけで、世の中には結構いるもんです。ただ能力の差(熟練度)があるし、公に看板を掲げている人は少ないと思うので自然と出会うのは難しいかもしれません。

しかし今の世の中インターネットがあります。ここがいい入り口になるでしょう。

ぼくらは今や西洋医学よりもそういう補完療法の方に希望を感じています。国家試験や科学の後ろ盾がないだけに、その人の力量を推し測るのは難しいですが、自分を鍛錬する気持ちがあればそういう能力を持った人との「ご縁」も引き寄せられる、もしくは引き寄せられるものだと思っています。

 

話が逸れましたが、なにはともあれ、あの強烈な連続した痛みに一時的にでも平穏な時間をもたらした気功の力には希望が感じられるのは浅はかでしょうか。

レイキってなんでカタカナなん?

気功は中国の方からの伝来ということは想像つくと思いますが、レイキももしかして海外のもの?と思うかもしれないけど、もともとは臼井甕男さんという方が日本で始めた臼井霊気療法に起源があり、これが海外に出て独自に発展したものなんです。日本生まれの海外育ちなんですね。だからカタカナなんですね。

レイキという名前から胡散臭く感じる人も多いと思いますが、そう言う例が身近にあって歴史とかを中立な目で見てみると納得せざるを得なくなります。

こう書くとぼく自身信じてなかったんかというとそうでもなく、別の方面からそのような力は信じていました。

それはオステオパシーです。

この話は次回にしましょう。