雑食思想の溜め池

生活していれば自然と湧き出て来る思いの数々。ここは、ぼくの中でゲシュタルト形成や拡張へ向けて流れ着いた、様々な興味の源泉からの思想が集う場所である・・・。と意気込んで始めたものの、だんだんとその色が薄くなってきました。

命をかけている人

早速、誰のことか書いていきましょう。

何せ、命が残された時間が迫っているのですから。

森永卓郎さん

今年「書いてはいけない」という本を出版しそこで記されていることの一つ、1984年に起きた日航123便事件の真相を語っている方です。

YouTubeなどの動画などにも出演していますが、彼は原発不明がん膵臓がん?)を患っており、自分の命の短さを認識している中で、さらに短くなるかも知れない可能性に目もくれず日航機事件の真相を白昼の下に晒そうとしています。

桜井誠さん

日本第一党の党首で、今、東京都知事選に立候補しており、在日外国人への不公平な給付金是正を公約として掲げている方です。

外国人参政権に反対しているだけではなく、日本国が外国人に対して日本人よりも優遇していることに関して、異議を唱えると同時に、日本国民はこの事実を知りもっと戦うべきだと非常に強い口調で発破をかけています。

現在、透析中の障がい者1級であるにもかかわらず、堂々と街頭に立ち、不当に生活保護を受け取っている外国人と不公平な規則に何の疑問も考えずに責任転嫁をしながらホイホイ給付している政府や役所を辛辣な言葉で非難しています。

原口一博さん

現在、WHOのパンデミック合意やIHR改定に断固反対して、WCH超党派議連勉強会を率いている言わずと知れた衆議院議員の方です。

この議連には、免疫学や生物学の教授、近現代史研究家も参加しており、この議連勉強会ではグローバリズムの一端を担うWHOやそれに率先して加担している日本の厚生労働省に対し、反対意見を聴いて正しく検討して欲しいと訴えています。

先日、WHO総会でIHR改定は無理矢理可決されてしまいましたが、日本には、まだWHO 脱退などの手段があるので、この議連はもう8回を数え議論していますが、主要メディアは一切報道しないので、ほとんどの国民がその存在を知らないと思われます。

この議連の勉強会では、その道の専門家や世界の勢力関係や、利権の結びつきに詳しい研究家が、事実関係を持って議論しているにもかかわらず、厚労省の職員たちは、話をはぐらかし、その様子は信じがたいものがあります。

原口さんご自身は、悪性リンパ腫を患い、髪の毛が全て抜け落ちても国会で答弁を続けながら活動し、最近全快されました。

命のかけ方

この方々は皆、何らかの重い病を患っているというのが単純な共通点ではありますが、それは表面的なものにすぎません。

正しい歴史的事実や知識を得て、しっかり自分の頭で考えて辿り着くことにより共有する倫理観や道徳観を持った人々のサポートをバックに、ゆっくりではあるけど成長をしている団体の代表なわけです。

そういう立場の人間が、ご自身の健康状態を顧みず、巨大なグローバリスト勢力が推し進めようとするグローバリズムに反する主張をするわけですから、身の安全が無いとはいえません。

主張が正しくなかったら「死んでもいい」という命のかけ方ではないかもしれませんが、少なくともご自身の発言には責任を持っています。

森永卓郎さんのケース

事実、森永さんは一般国民でしたら、自分の命を優先して安静にすることを考えるのではないかと思うところ、ご自身でこの先数か月の命だからということをおっしゃって、命を狙われたところで変わりないとでも言わんばかりに色々な人と対談して、その疑惑を晴らそうとしていらっしゃいます。

そして、彼が相手にしている組織は日本政府や日航、大手メディアなわけです。その気になれば如何様にも口を封じることはできるわけです。

桜井誠さんのケース

彼のYouTubeで街頭演説を見てみればわかりますが、街中や駅前で「あの支那人が…!」「朝鮮人の…!」と声を張り上げているとき、実際に「支那人というな!」という妨害行為をする人に向かって選挙カーを降りて応戦しているところを見ると(実際の戦いは映っていませんが…)いつどこで刺されるかわかったもんじゃないと思います。

それでも彼もおそらく今はご自身が透析を受けなければ生きていけないという状況の中で、保身に落ち着かず、体を張る姿を日本国民に見せて鼓舞しているのだとおっしゃってます。

原口一博さんのケース

一方原口さんは、現在元気にされていますが、つい最近まで死の淵を歩きながら、それでもご自分の信念を主張して国会で戦ってきました。

そして悪性リンパ腫を克服しました。

今でも暗黒のグローバリストに立ち向かっています。グローバリストは、「支那人」やクルド人を含む外国人の直接的、身体的な攻撃というよりも、例えていうなれば微量の毒を盛り続けるというステルス的に忍び寄る脅威があるように思います。

わかりませんが。

主張をもう少し詳しく

ところで先日、WHO総会でIHR改定は無理矢理可決してしまいましたが、まだWHO 脱退などの手段があります。この議連はもう8回を数え議論していますが、主要メディアは一切報道しないので、ほとんどの国民がその存在を知らないと思われます。

基本的にこの議連サイドが求めることは、この秋から厚労省が大々的に推し進めているレプリコンワクチンと呼ばれる新型mRNA”ワクチン”そのものや、そのリスクについて、その検証をしたり全体像が明らかになるまでは、接種を差し控えて欲しいと訴えているだけです。

(「ワクチン」とは名ばかりで、従来のワクチンが目指す効果とはまったく異なった効果を発揮しているため、クオーテーションマーク付きです)

それが無視されるのだから、この議題について無頓着な人が知識がないまま、どこかのタイミングでこの話題を耳にすると、原口さん側の人は単に口調が激しかったり、無理難題を押し付けているわからずやに聞こえてしまうのかもしれません。

死の淵から蘇った人間は、その命をもっと大切にしようと思うのが多くの人の考え方ではないでしょうか。そこがやはり一般人とは異なっていて(一般の方にも同じような覚悟の方はいらっしゃると思いますが)、政治家の考え方として、自分はもう一度死んだ人間なんだから、残りの人生はこの国を守るために使いたいというお気持ちでグローバリスト勢力に立ち向かっているのです。

原口さんはホープ

森永さんも桜井さんも、もしかしたらどうせ先が短いというお考えのもとで、ご自身の正義を一生懸命奮い立たせているのかもしれません。

わかりません。

だけど原口さんのように逆転劇を起こせる可能性だって十分あるとぼくは思っています。

桜井さんの障がい者であることに関しては、詳しいことは分からないので軽々しいことは本来言えませんが、透析ということなのでもしも腎不全ということでしたら、腎移植という最終手段が残っています。

非常にマッチングが難しいようですが、ぼくの高校時代の友人は腎移植で彼の絶望的な人生から帰還しました。

森永さんにおいては、原発不明のがんということで、もっと事情はわかりませんが、わからないだけ希望があるのではないかと思っています。そして何より超前向きで天邪鬼な性格らしいので、精神力が肉体を制することができるのではないかと期待しています。

WCH議連のアドバイザーの吉野敏明さんという定義と歴史を軸に医学と向き合う「本当の」お医者さんがいらっしゃいます。

彼の医療に関する本物の知識と経験で改めて森永さんの病態を検証すれば、糸口を見つけられるのではないかと期待し願っています。

命と対等なもの

いずれの方々の本当の気持ちはわかりませんが、とにかく命を失うリスクに対する予防はしていないということです。

つまり「黙っている」という選択肢を取っていないということです。

自分の主張を邪魔する人間や組織に命を狙われようと突き進む、それだけのものを掲げて歩みを止めない、「命をかけて」いる人が本当にいる。

ぼくはこういった方々の後押しをして、活動に賛同していますが、命をかけられないのは、学んだ先からポコポコと知識がこぼれ落ちてなかなか固まらないからかも知れません。

覚えてもどこかでいつも知識の修復工事が必要となっている、まるでスペインバルセロナサグラダファミリア教会のように。

しかし、完成しないからと言って一般公開しないのではなく、完成してなければいないなりに、何かしらの形で声を上げる必要があると思って、今回このように綴ってみました。

そして完成するものは本当に命と同じぐらい価値のあることであると思っています。

命をかける人

「おまえ、命かけるか!」

子供の頃のある時期から、どこかで覚えたてのフレーズを、互いに睨み合った子の1人が、いきがって口にするようになったのを覚えてます。

相手との間でどちらかの記憶違いなどでお互いに自分の正当性を主張するとき、そういって「威嚇」するんですね。

そして言われた方が一枚上で

「おまえ、命かけるって意味知ってんのか!死ぬってことだぞ!」と逆に応戦されると、一瞬、鳩豆になって、その意味を理解してかせずか、その勢いは一気に消沈するんです。

なんせ子供ですから。

本来、自分の言葉に責任を取る意味で解釈されるものだと思いますが、まあ、今では自分の自信の強さを表す言葉として使う人が多いのではないでしょうか。

とはいえ、単に「賭けてもいい!」といいつつ、何を賭けるのか明言しない場合が多いですがね。

そういう意味で、ある意味本気に取る人はいないでしょうが、公の場でこういう言葉を使うと、中には言質として本気で捉えて追求することもあるので、そう軽々しく口にする言葉ではないということを子供はその後すぐに学びます。

文字通り理解すると、この「命をかけてでも〜」というフレーズは命と引き換えに自分の正当性を主張するということなので、自分ではまず使わないし、他の人が言う場面にもめったにお目にかかりませんが、ここ数年の間で、本当に「命を賭けて」、自分を信じてほしくて主張をしているな、と敬服する人がポツポツと出てきたのでちょっと書いてみたいと思いました。

そういった方々の中には、自ら「命を賭けて」と言っている人もいます。ある人は、正当性ということではなく、思想の大きな潮流に抗う主張する事により、文字通りに命が消耗するのではないかと思える人もいます。

前振りが長くなりましたが、次回は、そのように自分の主張に責任を持って、発言している人たちについて書きたいと思います。

歯が欠けたのは玄米のせい?

年間行事で力(りき)む時?

前回、ぼくの歯が欠けた話をしてきましたが、先生が独り言のように話してた内容から察するに、ぼくは歯を食いしばる力が強いからという感じでした。

その独り言から特に話は発展しませんでしたが、ぼくにはどうも解せなかったんですね。

つまりぼくには心当たりがなかったということです。

力むようなスポーツどころか、スポーツをしません。

起きているときに無意識に歯に力が入るとしたら、最近の阪神タイガースが1点差のリードを守って9回裏のクローザーが「あと一人」の時点で、ランナーを出したりして一発逆転の危機に遭遇したときぐらいじゃないでしょうか。

その他、就寝中に歯ぎしりするわけでもない。

そこでちょっと考えたのです。

そういえば意識的に歯に力を込めているときがあるぞ、と。

まさか、これが?

と思うのですが、今のところそれしかない。

それは、年に一度のお節料理で使う数の子を食べるときです。

全滅させよ!

数の子自体が、それほど好物というわけでもないですが、松前漬けは結構好きで、毎年我が家では、原材料などを調べまくって材料を揃えて自分たちで作ってます。

で、数の子の何が問題なのかと言うと、あのツブツブを1つずつ全て潰そうとするクセのようなものがあるんです。

それであの小さなツブツブをプチプチと結構な力で噛んでいるんですね。

確かにあのときは力んでいるなあと思います。

とはいえ、年に一度ぐらいしか食べません。

年間行事どころではない

しかしそこに思い至った今、それなら玄米もそれに相当するかもと思うのです。

玄米を食べたことがある方は分かると思いますが、白米と違って玄米には色々な層が残っているので、実際に食べてみると食感というか歯ごたえとして数の子に似たプチプチ感があるんです。

そんな玄米は、ある程度噛まないと口の中でアミラーゼが分泌されないので、でんぷんから麦芽糖になりにくくなり、胃から下での麦芽糖からブドウ糖への消化や吸収に負担がかかります。

それが故によく噛めと言われるわけですが、最初はめんどくさい感じがあって、白米同様さっさと飲み込んでいたのですが、よく噛むようになったらあのツブツブの存在感が増し、できるだけ潰したいという気持ちになってきたんですね。

数の子にしても玄米にしてもプチプチ感があるからといっても、別に噛み切れないような硬さがあるわけではないですよね。でも弾力性があるのでしっかり噛まないと潰れないように感じるんですよ。

まさかそんぐらいのために歯って欠けるもんなのかと思いますが、年間行事どころか、毎日やっていれば、それなりのダメージがあってもおかしくない。

それを疑っています。

よく噛むがために歯を失っては意味がない

それなら、玄米は健康にはいいのかもしれませんが、本当、ゆっくりやさしく噛まないと、歯を破壊して歯を失ってしまい、何のための玄米食だかわからなくなってしまいます。

せっかく虫歯になりにくいのに、こんなことで歯を失っていたら自滅するようなもの。無意識下ではなく意識下での行動が及ぼしている問題である(と思われる)ので、消化のためだけでなく、歯の保護のためにも、昔から言われている、「ゆっくり(そして優しく)噛んで」食べるようにするようにしました。

当たり前のことですが、歯は再生できないので、できるだけ失うことがないよう、意識して食事をする必要があるとつくづく感じてます。

イメージはフラダンス?

峰が吹っ飛んだ!

最終的に、噛み合わせに違和感がないかを確認後、外側を除いて銀歯になりました。

ところが、あとになって気が付いたのですが、ツイン・ピークスが、マッターホルンのような形になっているのです。

内側の山が、なくなったままなのです。そりゃあちょっと強度が気になりますわな。

特に噛み合わせで不自由さや、違和感はないのでいいのですが、その点についてできないならインフォームドコンセントを取ってくれるか、原形に近づける努力をしてくれてもよさそうなものだと思いました。

調子に乗っとるな?

今回の折れ歯騒動で、歯医者に行って、自動的に口腔チェックをされた結果このような「報告書」をもらいました。

なかなか優秀じゃないでしょうか。

10年近く歯医者に行かず、歯垢を遠ざけていたんですね。

とはいえ、その10年ほど前に行ったときは年齢の割に歯が残っていて立派ですねとは言われましたが、歯垢除去はしておいた方がいいですよと言われたのを覚えています。

まあ、基本的にぼくの歯は虫歯になりにくいんでしょうが、歯槽膿漏になるかもしれないという方向の心配はありますね。

特に歯並びが良いわけではないし。

毎回、歯医者に行くと入れ歯お化けのような模型と歯ブラシで磨き方をレクチャーされ、その通りにやってるつもりなのに、歯垢が残ることにいら立ちを感じてましたが、もしかしたら車の免許更新時の講習のように、たまにでも注意喚起をされると無意識のうちに手の動きを微調整したりして、ジワジワと改善されているのかなという感じはしています。

良い結果が出たのでちょっといい気になっているだけかもしれませんが。

歯磨きのイメージはフラフラと

それで、歯茎の下がり具合とかをかなり前から気にしていましたが、それほど進行していないようだし、今回もこのような診断を受けて、やはりそれほど頻繁には行く必要はなさそうだなと思いました。

歯の磨き方も、電動歯ブラシを意識して、歯と歯茎の間にブラシをあてて、毛先はその場を離れないように、フラダンスのような細かい振動をさせています。

おそらく、歯の表面とか臼歯の凹み部分は、フラダンスの運動で端っこのブラシが当たったり、たまに逸脱するときにサラッと掃かれるぐらいで十分なんではないでしょうか。

物が詰まっているなら楊枝やらフロスで取るべきでしょうけど、常に行われる舌のパトロールで違和感がなければ歯の表面は基本的に磨く必要はないように思いますね。

ただ、コーヒーで黒くなったシミはちょっと取りたいですけどね。

ということで、今回は歯の健康としては問題なかったですが、年齢も進んでいるし、歯槽膿漏の心配もあるっちゃあるんで、ちょっとは真面目に検査を受けておいた方がいいかな。

それとも、次回歯医者へ行くときも、また何か事故が起きてから行くことになるのかなあ。

 

今度はポッキー

違和感の連続

前回の歯の陥没から10年ぐらいたったでしょうか。今まではなんの前触れというか自覚もなく虫歯になったり陥没したりしましたが、今回は何かちょっと違和感を感じたところからスタートしました。

普段とは何かが違う予感はしていました。それは少なからず「痛み」のカテゴリーに入る違和感だったからです。

ー 数ヶ月前

何かを食べていると、急に右上の犬歯のあたりの歯茎の奥に鈍痛がしました。

ちょっと硬いもの(砂利のようなもの)を噛んだことで、歯が押し込まれて痛い。そんな感じでした。

普段は、もしも、硬いものや箸などを噛んでしまったときは、ガツン!と衝撃を受けるだけですが、今回は、衝撃に加え、神経に触っているような痛みを若干感じたわけです。

そんくらいじゃ重い腰は上がりません!

まあ、歯医者にいかずに10年も過ごしていると、正直なところたまには検査をした方がいいのかなという年齢になってきましたので、その痛み方に少し不安を感じ、検査をしに行く意識をし始めました

ただ、ぼくは虫歯の痛みとか、歯周病の痛みとかを知りません。

しかもその頃は、違和感すらありません。指で押すような、圧力を加えたぐらいでも何も感じません。

歯を食いしばっても感じません。

忘れた頃に何かを食べているときに鈍痛を感じたのです。

そういう事もあって、いつもよりも歯磨きを入念にして、悪化するようなら、まあ歯医者に行こうかなと考えたりしていました。

それにしてもこの痛みは何なんだろう?

前回のように、見えないところから虫歯が歯の内側を侵食して、今回は神経まで到達しているのだろうか?

それなら早く処置しないといけない。

ただ、慣れないことをするめんどくささがどうしても勝ってしまうんですね。

しかし、そんなことも言ってられないくらい、違和感から完全な痛みに変わって来ました。

とはいえ、まだ特定の歯で噛まなければ普段は何の問題もないのです。

いろいろな理由を考えては歯医者に行きませんでした。

重い腰が一気に上がった!

そんなある日、ついにいつもと違う感覚に襲われました。

サラダを食べていたときだったと思います。問題の歯で何かを噛んで、「イテッ」と感じると同時に、「ジャリ」というジャリを噛んだときとは違う、もっと細かい「ジャリ」を感じたのです。

そこからです。その後は、その歯がまるで腑抜けになったかのような感覚が残りました。

痛みはないのですが、まるで乳歯がぐらついてきて、抜ける前のような感覚です。

完全に「異常」事態を感じたために、やっと歯医者に行くことを決断しました。

その後は、いつものように何もしていなければ痛くないのですが、歯磨きをするだけでも響いたので、この歯はもう抜かざるを得ないのだろうと思っていましたが、うまく固定すれば骨折した骨がくっつくようにまたもどるのだろうかなど、まったく知識のない頭で想像していました。

影もなく忍び寄る亀裂

とにかく歯医者に行くまでは、この歯でものを噛まないことだけに気を配っていました。

近所の歯医者の定休日があったりして即日行けなかったのですが、なんとか最後の状態を維持したまま歯医者に到着することができたのでした。

顔の周りをグルっと周るレントゲンを撮り、施術台に横たわると、先生が、どこが痛むか訊くのです。

「この歯のこの辺で、舌で内側から押したたけでも響くようになったんです…」

「ああ、これですか…」

「イタっ!そうです。それです」

「どおりでレントゲンに何も映ってないわけです。割れてますね」

「え…?」

「ほら、もうペラペラしてるでしょ。もう取っちゃいますね」

「え?それはくっつける訳にはいかないんですか?」

と、いうか言わないかのうちに、

「もう、取れました」

と、欠けた歯を見せてもらうと、2つに盛り上がった歯の内側の山が歯茎の辺までの範囲で欠けていました。

神経に近づく前になんとかせい!(自戒…)

で、院長はどのような処置をするか、助手と相談しつつ、ぼくに、歯を残したいか訊くのです。

え?当然でしょ?

まだ半分以上残ってるのに何を言うか?

その思いを察してか

「やっぱ、残したいよね。土台を付けて銀歯でカバーすると、笑ったらこの歯は、ちょっと見えるからね…。でも耐えられるかな。歯が割れるぐらい噛みしめるんだからね。」

なるほど、強度の問題か。

とはいえ、健康なとこまで削られたくないし、セラミックは高そうだし…。

すると、また、そこまで察してか否か

「残してやってみようか。多分大丈夫でしょう。」

と言ってくれて、そうすることにしたのですが、半分以上残っているのにそんなに心配なのか?

まあ、分からないことばかりです。

とりあえず、処置の方向性が定まったようで、ここからは相談ではなく断定的な説明をされました。

その中でぼくが心配したのは神経の処理でした。

今回の歯は奥歯と前歯の中間部分の歯で小臼歯というんですかね、前述のとおり「山」が2つの歯です。

根っこが2本あってそのうちの1本の近くまで折れているので神経を抜くというのでした。

歯の知識の薄いぼくが結構恐れていたことが、虫歯にせよ何にせよ、神経に触れたら痛いということでした。

もちろんそれがどの程度正しいのかは調べてませんでした。

とにかく神経に近づく前に処置しないとひどい目に遭うぞ、とは薄々感じてました。

とはいえ、虫歯のように徐々に近づくケースだけを想定していたので、こんなに一気に神経に迫ることなど考えていませんでした。

そして今回この段階まで来たところでは、怖くて調べることもしませんでした。

ただ、神経を抜くことになるなんて想像だにしておらず、思いのほか大工事になり、比例した痛みも受けるだろうことをその場で覚悟しました。

これからの処置の準備を待っている間のいやなこと。

その間、もちろん麻酔はするだろう、とはいえ、その麻酔の注射もいたくないだろうか?

いや、そういえば20代のころ親知らずを抜いたことがあるのですが、まったく痛くなかったですね。

麻酔の注射も歯の周りに水膨れのようになるぐらい打っていたことを思い出しました。

うん、痛くなかった。

歯を抜くのと神経を抜くのとではどっちが痛い?

まったくいい年になっても経験をしたことがない痛みには恐怖なんですよね。

そうこうしているうちに麻酔を打たれましたがやはり痛みはなく、無事神経の抜き取りも終了。

そして仮の詰め物をして、その日の処置は終了しました。

ある日の陥没

歯に穴?

10年単位ぐらいで、少し歯茎が腫れたり、痛みとは言えない違和感を感じたりして、歯医者に行くと、特に特定できる問題もなくチョチョっと薬を塗られて、歯周病予防のためにも定期的に検査したほうがいいと、「説教」じみたことを言われながらしっかりした歯磨きでマッサージするよう歯の磨き方の「講習」を受けます。

つまり、いつも検査しても特に虫歯はなく、最終的に歯垢の除去に誘導されて終わる。

まあ、ぼくとしてはこのくらいのスタンスで歯医者と関わるぐらいがちょうどよいかと思っていますが、ある日、いつもあった歯がないことに気がつきました。

口の中というのは、常に舌で異常がないかパトロールしてますよね。その際に、「いつもあった歯がない」というのはもちろん言いすぎですが、いつもあった歯の「一部」がないことに気がついたんです。

奥歯ってだいたい4隅が盛り上がってますよね。

その一つがなくなっていたのです。

正直なところ、その時の状況は忘れてしまっており、正確にどのように発覚したか思い出せません。

「歯のパトロール」は、たいてい朝の目覚めから程なくしてスタートするものだと思うので、おそらく朝に気がついたのだと思うのですが、それだと夜に寝ていたときに陥没したことになります。するとそのときの歯のかけらはどうなったのか…。

思い出せない…。

もしも、日中であればもちろんそのとき気がつくだろうし、もしも食事中であれば食物に歯のかけらが混ざって「ジャリ」という感覚で気がついたはずです。

思い出せない…。

ただ記憶にあるのは、気がついたら陥没していたということで、痛みもなく穴が空いたということです。

いずれにせよ「え?」どういうこと?です。

恐る恐る鏡で見てみるとガッツリ穴が空いていたんです。

ガンの切除もこんな感じなのだろか

たまに道路が陥没する衝撃映像がありますが、おそらく事態はそのように起こったと思うのです。

つまり、歯の内部で侵食が起こり、空洞化し、表面のエナメル質だけではものを噛む圧力に耐えられなくなって陥没した。

驚いたのは、これだけの大穴が空いても痛くないことでした。

神経はもっと奥までしか出てきてないということなのでしょうか。歯の断面イラストだと、もうそこまで神経が来ているように思えたらからです。

とにかく直ぐに歯科に行き埋めてもらいましたが、今回は、前回の虫歯程度では済まないと覚悟していたら、案の定実際に陥没したのは歯の1/4程度のハズですが終わってみると3/4程度が銀色になっていました。

がんの切除手術をすると、実際の患部の何倍もの組織を切除すると何かで読んだ覚えがあります。

まあ、がんの場合は、取りこぼしがあってはならないし、転移している可能性があるからといったような理由だったと思いますが、歯の場合はどうなんでしょう。

詰め物との接着面が多いほうがいいということなのでしょうか。

とにかくその時は、見た目は結構なダメージっでしたが、痛みを感じることなく済んだことでホッとしていました。

誇れたのはただ…

初黒星

ぼくの歯は、比較的強いようで、小中学生のころは歯科検診で虫歯が一本も見つかりませんでした。

今の学校でこういう儀式があるのかわかりませんが、なぜか虫歯がない生徒が毎年朝礼の時に表彰されたんですね。

そんな時代を過ごしたぼくは、小学生の頃は毎年表彰台と化した朝礼台にあがってました。

それまでの人生の中で数少ない自慢できることや表彰理由が、この「虫歯がない」ということだったのです。

大工事過ぎてません?

それゆえ高校生のころ、初めて虫歯が見つかったときは、まるで勝負事で初めて黒星をつけられたかのようにショックだったのを覚えています。

それも一気に3本でした。

歯医者さん曰く、小さいものだから心配ないとのことだったので、虫歯をちょっと削り取って小さな詰め物をするだけだろうと、自分を慰めていました。

ところが処置が、進んで行くうちに段々と不安が大きくなってきました。

虫歯を削ると言って削る時間、体感する掘削量が想像よりもかなり大きかったのです。

ぼくはそれまで、母親に見せてもらったことのある直径1mm程のホクロのような虫歯の詰め物を想像していたので、その程度のものだと思っていたのです。

ところが、施術台に体を委ねながら削られた直後にウガイをしたとき、舌で触った歯に大きな溝を感じました。そして処置が終わってみると歯には銀色に光る十字の詰め物が入っていました。

「えっ!こんなに削る必要ある?」と今まですべて完璧な自前の白い歯が一気に醜く感じた光景でした。

連覇がかかるアスリートのふり

よく思い出してみると、小学生の頃…というか、虫歯が見つかるまでは、歯科検診というと毎年「今年も虫歯無し」という一つの「勝利」を得られるかどうかというちょっとした緊張感を覚え、勝利を勝ち取ったときは「連覇」したというちっぽけな誇りを持ち帰り、どういう訳か両親もそれを共感してくれていました。

おそらくそういうメンタリティーだったせいか、一度「キズ」が付いた後は、虫歯が多少見つかったとしてもいいやという、まるで無敗の連覇を続けてきたアスリートが負けてそれまでの勝たなくてはいけないという重圧から解放されたかのような気持ちでした…。

と、言ってみたもののアスリートの本当の気持ちは知りません。

単なる想像です。