雑食思想の溜め池

生活していれば自然と湧き出て来る思いの数々。ここは、ぼくの中でゲシュタルト形成や拡張へ向けて流れ着いた、様々な興味の源泉からの思想が集う場所である・・・。と意気込んで始めたものの、だんだんとその色が薄くなってきました。

狙ってヒットさせるのは難しい

前回の投稿の続きです。

何気なく送ったであろう物の中にいいものが入っていたという話でしたね。

毎回「届いたよー。ありがとう」ってことを伝えても、届いたことでミッションをコンプリートした充足感に浸って、送ったものの反応はあまり気にならないらしい母君。

そのモノの感想を言ってもそれについての反応が薄い母君からのプレゼント。

いわば、もったいないプレゼントのやり取りになっている。

送りたくもないお歳暮やお中元を贈っている感じなんだろうか?

そんな風に感じてしまうわけです。

 

omoi-tameike.hatenablog.jp

 

そんなプレゼント事情の中、先日母君から細君へ送られた(もはや贈られたとは言い難い品々・・・)ものにとてもときめくものが送られてきました。

それがこれでした。

わかりますよね。

カエルを模したフットライトです。

そのカエルはステンドグラス製です。

いつものようによくわからない日用品の中にビニール袋に包まれて無造作に混ざっていたようですが、開梱して目に入ったときに思わず「わあ」と思ってしまう感覚を覚えたようです。

これを例えば、お店に陳列している商品として形容する言葉としては、もちろん「すごく素晴らしい」、「上手」、「欲しかった」、というものにはならないでしょう。

でも母がステンドグラスのクラフトを作っていることは知っていたので、母の手作りであることはわかりました。

知っている人(プロではない)が作ったこういうクラフトってその人の感性が直に現れるからか、ぼくも確かに「これ、いい」と思いました。

子供の自由工作みたいなものですかね。

作った人ありきの品物の良さがあるもの。

そこで細君は母君に、到着メールとともにそのフットライトのカエルの具体的に気に入ったところを含めて「とてもかわいくて素敵」というメールをリップサービスじゃないことがわかるような少しワクワクした感じの文面でメールを出したらしいんです。

しかし返事がそっけなかったというのです。

どうもかみ合わない。

嫁姑の女同士でモールとかに買い物に一緒に行って、小物を物色しているときなんか、結構キャプキャピして感情を露わにしていたから、そういう感性がないわけではないのはわかっているんです。

とくに自分の作品だからキャピキャピしないとは思うけど、制作秘話的なちょっとした話をしてもいいように思うのですが、どうなんでしょうか。

送った側から、わざわざ感想を求めるのは野暮というものだから訊かないにしても、もらった方がリアクションをしてくれたら、それに応じて何かしらコメントしてもいいんじゃないかと思うんですよね~。

恥ずかしさがあるのかなあと言うのもあるのかなあ思って、あとでZoomで直接話したとき、もう一度、「あのカエル良かったよー」って伝えても、「えー、あんなものが良かったの?」っていう感じでした。

どうも、自分が、いいと思ったいわば自信作でないものだから、それを褒められても嬉しくないといった感じなのでしょう。

気持ちだけは職人か?

う〜ん、その感覚もわからないでもないけど、反応の仕方はもうちょい他にあるやろって気がしてます。

せっかくいいって言ってるんだから、そんな相手の嬉しい気持ちを萎えさせない返事っていうんかな・・・。

それを書いていたら一つ思い出したことがありました。

小田さんこと小田和正さんがかなり前に出版したエッセイに書かれていたことで、とてもよく覚えていることがあるんですが、それはまた次回に書きましょうかね。

評論家の鑑

f:id:Cenote:20220407104726p:plain


先日、母君のプレゼントに端を発し、ちょっと思いついた事があるといって終わっていた話です。

ウン十年前、小田さんこと、小田和正さんがメンバーだったオフコースというバンドが解散後、ソロ活動を始めて間もない頃、Time can't waitというエッセイ集が出版されました。

その中に、彼は映画評論家の淀川長治さんのことが好きだという話が書いてありました。

小田さんといえば・・・

ファンの間では有名な話ですが、子供の頃クラシック映画の「ティファニーで朝食を」でオードリー・ヘップバーンが歌っているMoon Riverを聴いて映画音楽に感動して、それから映画音楽というものに憧れを漠然と感じていたところから音楽の道を進み始めました。

ご存じの方は少ないかもしれませんが、小田さんはオフコース時代にメンバーを出演させてNEXTという短いフィルムを撮ったことや、ソロになってからは映画の監督をされたことがあり本格的に2本撮ったことがあります。

そういうこともあり、評論家の声というのは否が応でも耳に入ってきたのでしょう。

数々の評論家が、彼の映画に関わらずとにかく人の作品に意見、取り分け批判を言っている中、淀川さんは決して人の作品を批判しないところが好きだと言っているんです。

小田さんにとっては映画のみならずおそらく音楽に関しても色々な評論をされてきていたでしょうから、単にそういう意味でやっぱり耳に痛いことは聞きたくないということもあると思います。

でも、小田さんは、作品に評論をする、特にネガティブ意見をいうことが及ぼす影響について、こう言及してるんです。

例えば、誰かがある映画を見て、「この映画良かったー」と感動して余韻に浸って過ごしている中で、どこかの評論家が自分が感動した映画について悪口を言っているのを聞いてしまったらどう思うだろうと。

自分はいい映画だと思ったけど、

「この映画って良くないの?」とか

「自分には映画の良さを見抜けないのだろうか?」

「自分には映画のセンスはないのだろうか?」

って思ってしまい、せっかくの感動が萎んでしまうというのです。

アートなんて、人によって見え方が全く違うから、誰かの意見で人の感動を台無しにしてしまうということが起こるから、評論家という人は好きじゃない。

でも淀川さんは絶対に映画について悪く言わないというのです。

このことに関連して、齋藤孝先生の質問力という本の中では、淀川さんが黒柳徹子さんと対談したときの会話を抜粋して紹介しています。

簡単に説明すると、淀川さんは800本も鑑賞しており、彼にもかったるい映画もあるけど、どんな映画にも絶対「いいところ」があるからそれを探してたという話です。

そのいいところとは例えばキレイなお手洗いとかだとユーモア混じえて言ってたそうです。

そのような評論をすることの理由は直接的には書かれていませんが、彼は映画の視聴者に知識をつけてもらうよりも、何か役に立ててもらいたいという気持ちがあるとおっしゃってます。

そういうことを読んだときに、ぼくも自分が感動した気持ちは大切にするべきだし、人の感動を壊すようなことはできるなら言うべきじゃないなと思うようになったという話です。

だから、例えば、自分が作った稚拙だと思う作品で誰かが感動したら、それを素直に受け入れてお礼を言えばいいんじゃないかと思うんです。

確かに、自分の思いとは違う形に出来上がったもので、自分としては好きでないから、そんなもの好きになって欲しくない、自分の作品レベルはこんなもんじゃない、好きになってもらっては困るという気持ちもわかります。

ぼくも今まで数少ない作品(クラフトや曲)を作ってきましたが、つい好きじゃない点について言い訳をしてしまうんですよね。

「本当はこうしたかった、あーしたかった」でも、何らかの「外的要因」のためにそれが叶わなかった。みたいな。

でも、作品に触れる人にとってみれば、それがすべてだし、裏事情なんて知ったこったないわけですからね。

それにもかかわらず、気に入ってくれた人の気持は壊してはいけないなと思ったという話でした。

 

やっぱ血筋かね〜

f:id:Cenote:20220312150701p:plain

前回はぼくが贈ったプレゼントの話でしたが、今回は我が母君のプレゼントのお話です。

毎回、ぼくや細君の誕生日近くになると、母君から誕生日プレゼントが届くのですが、その内容物はぼくからしてもかなり「変」だと感じてしまうものが多いんです。

よく芸人さんの親御さんとかで面白い方が紹介されることがありますが、うちもかなりいい線行ってるんじゃないかと思ってしまいます。

と、自分でハードルを上げているようにも思いますがどうでしょうか。

基本的には食べ物

以前は、母からしたらぼくが子供の頃から好きだったものを思い出して、懐かしいと思うようなものや、面白いと思うものだったりして、それなりに気を使っているのかなと思うのですが、最近はそういった面白い食品というのはあまり健康的じゃない物が多く、このブログでも扱っているようなよろしくない添加物なり加工がされている物が多いんですよね。

梅味のそばとか、さやえんどうのチップスとか、今や日本ではその辺で買えるものも多々あり、別に送るほどでも…というものなんですよ。

まあ数年前からうちらの健康志向ぶりはちょくちょく押しつけがましくならない程度に知らせていて、それなりに共感を得ているけど、やっぱりレベルが違う(ぼくのレベルというかうちの厚労大臣の)から、その要件に当てはまるものはまずないです。

だから、さり気なく

「今は、好みも昔と違うんだよ〜。変わってないところがあっても今はこういうものは食べないんだよ〜。あとこっちでも売ってるよ~」

ってことを伝えているのですが、やはりあまり理解されてないようなんですね。

例を言えば「玄米は体にいい!」と言ったら玄米なら何でもいいと思ってしまい、無農薬でないと栄養以外の問題があるということは忘れてしまうか、「白米よりはいいんでしょ!」という感じだったり、梅干しは健康食品だとか、勝手な解釈や短絡的な思考をするといった感じでしょうか。

でもそういえば、「あんたも食べないの?」って訊かれたこともあるから、健康志向はカミさんだけかと思っているところもあるのかもしれません。

まあ、そういうものは、仕方ないとして・・・。

ちょっと高めの自分用にか買わないもの

多分、自分も普段気になってるけど、高いから買わないでいて、こういう機会に買って、半分だけ自分で消費して残りを袋に戻して「プレゼント」にしたもの。

おそらく、「高価」だからプレゼントに値するだろうという考えがあるのか知りませんが、そんなふうに想像しちゃうんですね。

自家菜園の収穫物

あとは、庭で採れた熟れたゴーヤとか、紫蘇の葉とか、確かに好きですけど、それ送る?と思うものがタッパに入れたりビニール袋にグルグル巻にされてクール便でもない普通の荷物として送られてくるんです。

だから、ある時、お届け物の箱を開けてみると、何やらビショビショになった袋が出てきて中の箱やら新聞の切り抜きやら、本来包んじゃいけないような大切なものがグショグショになっていたんです。(もちろん乾かして使うんですが)

言うまでもなく、ゴーヤとか紫蘇の葉とかが一部液状化してしまったんですね。

不在で一日ぐらい受け取りが遅くなったときもあったかもしれませんが、その間に完熟してしまって、振動で揉まれたんでしょうかね。

スゴイ剣幕の理由

まあ、現状を伝えたので、もうそういうのは送ってこないかと思いきや、それ以来到着指定日になると電話がかかってきて、「荷物届いた?」ってわざわざ聞いてくるようになったんです。

まあ、届いて玄関においたまま後で開けようと思っていたりで、数時間おいて、さて中身を確認したら感想も含めてメールしようと思っていた矢先とか、タイミング悪くかかってくるんですよ。

そして、「届いたよ〜。ありがとうね」というと、「どうして『届いた』って連絡くれないの!」と怒号を飛ばされたんです。

「あ、ごめんごめん。」とタイミングの問題だという理由を説明すると、

「ちゃんと届いたかどうか気になってんだから!」とすごい剣幕で怒り出したんです。

いやあ、プレゼントもらっておいて(いや、それほどでもない)、言い返したくはないけど、それ相応に言い返すわけです。「何日も連絡してないんじゃないのにそんなに言われることないだろう?」と。

それでも、気になるものは気になるらしく、起こりモードはそのまま。

何をそんなに気にしてるんだときくと、「荷物が行方不明になったら探してもらわないといけないじゃない!」というのです。

以前、ぼくが海外生活をしてたとき荷物の紛失の心配をしていたころのことがまだ染みついているのか知りませんが気になるんですね。

「ここはメキシコじゃないんだから、紛失なんてそうあるもんじゃない」とか、そんなに気になるなら、「追跡番号が付いてるんだからそれで確認したらいいやん?」って返事になってしまうわけです。

80歳近くにもなると、もっと時間がゆっくり流れるもんかと思っていたけど、逆ですね。そしてそういう配送の「機能」を思いつかないか、めんどくさいらしいですね。

向こうの論理はそのままに、妥協できないらしくなかなか怒りが収まらないので、言いたくはないけど言うしかないと思って、心を落ち着かせて「感謝はしている。ありがたいと思っている」ということを前置きした上でこういうわけです。

怒られるぐらいなら

「プレゼントを贈ってもらって文句をいうのもイヤダけど・・・、いや、言いたかないけど、プレゼントと言っても、送るほどでもないものをもらって、その上、ちょっとお礼の連絡が遅れたぐらいでそんな風に怒られるぐらいだったら、もらいたくないと思ってしまうよ。せっかく送ってくれて感謝の気持ちがあっても、そんな気持ちが吹っ飛んでしまうんだから、そっちからしてもそんな風に思われたくないでしょ。」

まあ、ここまで言ってやっと落ち着いてくれるんですが、しばらくするとこの理屈を忘れてしまい、また次回同じことを繰り返すんですよ。

3~4回はこれを繰り返してやっと落ち着きます。

そんな中、珍しくヒットしたプレゼントがあったんです。

それについては次回に書きたいと思います。

 

プレゼントの極意

先月は、2Way-Deskを作るぞーと意気揚々としていましたが、

いざ、作ろうと思うとやっぱり昇降装置に当たる機能をどうしようか

考えてしまい、アイデアの改良はしつつも実行に移せないんですよね。

まず材料の一つとして、歪みを抑えるX型のブレース(筋交い)が

なかなか見つからない。

IKEAのショップで見つけたけれど、送料を入れると思いのほか高額。

まあ、高額といっても高が知れているのですが、自作するものには高額ということです。

木材でブレースをしてもいいですが、重くなるしスッキリさせたい。

ということで、このプロジェクトはなかなか進みそうにありません。

 

その代わりに最近作成した工作を紹介します。

といっても出来合いの工作キットのようなものなので、

それほど熱の入った制作ではないのですが、見た目はいいので

今回、我が家の厚労大臣の誕生日プレゼントとして買いました。

f:id:Cenote:20220218023600p:plain

プレゼントするやいなや、彼女が隣りにいながら結局ぼくが作りました。

作成(組立)込みのプレゼントですね。

f:id:Cenote:20220219114637p:plain

選んだ理由の1つ目は、まずモチーフとしてのミミズク。

うちらからすると動物の中では、飼っていることもあって猫に一番愛着があるわけです。

しかし、これはミミズク。

フクロウに耳みたいな飾りのついたミミズクは、実は先代のタイショーにそっくりなんです。

変な表現ですが、タイショーはミミズクに似ていたのです。

タイショーを彷彿とさせるミミズクが結構いるということで、結構ミミズクやフクロウもうちらの好きなキャラクターなのです。

で、これは何かというと、ペン立てですね。

上から見るとこんな感じ。

f:id:Cenote:20220218023621p:plain

中の箱は取り出せて、他の面に形の違う穴が開いているので

好きな面を上にしてセッティングすると、ペン以外のものも

入れられるって代物です。

f:id:Cenote:20220218023725p:plain

そして、手作り感。

単なる出来合いのものではなく、うちらが好きな手作り感やパズル性も少し含まれているということもあります。

そしてインテリア性。

さらに部屋に飾るとしても、木製なのでうちの他のインテリアを邪魔しないだろうというかなりピタッとハマるものだったわけです。

 

それにしても、毎年プレゼント探しは大変です。

でも、ある程度「こんなのがいいかな」というアイデアが湧くと逆に

探すのも楽しくなってきますね。

ただ、この心境の境地に達するのにかなりの年月がかかりました。

今でも引きづられる事が多いマインドとして、今までプレゼント選択で頭に思い浮かぶベストな属性は「相手が必要としていて欲しいもの」というものでした。

やはり今まで自分がもらって嬉しいのはそういうものだからです。

そしてそれを普段の生活の中で観察して見つけるわけです。

どうなんでしょう。

方向性は悪くないと思いませんか?

ぼくが今までプレゼントしてきた中で未だに「信じられない」という語り草になっているものがあります。

包丁です。

まだ若かったぼくとしては彼女が自活している様子を観察していて必要だと思ったものだったのです。

「いつも切りにくそうにして、その割に買い換えようとしない。

絶対、欲しいに違いない。

それなら買ってあげよう。」

そう思ってプレゼントしたものでしたが、今でも思い出すたびに「あれはひどかった」と言われます。

確かに必要でほしいけど、プレゼントとしてはもらいたくない。

ム・ズ・カ・シ・イ

かといって、うちの細君は世の中の多くの女性がもらうと嬉しい宝石類やブランド物には目もくれません。

そういうものはあげる方からすると高価なものなので助かるのですが、選ぶという観点で、そういった一般的価値観が高いものを除外するとてもむずかしくなるのです。

そんな彼女から学んだプレゼントの極意は

「相手がときめくだろうと思って選んだ気持ちが乗っかるもの」です。

まあ、当然といえば当然ですが、とにかくこれは主観的要素が大きすぎてその感覚を得るのにかなりの歳月がかかりました。

そのモノの本質を得ないとわからないからです。

 

極端に言えば、そのへんに落ちてる石でもいいわけです。

そして何の役に立たなくてもいいんです。

高価だからもらって嬉しいんじゃなく、例えばその石が、飼っている猫に似ていて、そう思ってちょっと模様付けしたらその猫っぽくなるぞと思って少し手を加えたとかいうものだと、単なる石じゃなくなるわけです。

ただ、そんな丁度いい石を見つけるのは偶然性に頼りすぎるところが大きいから毎回当てはめられないけれど、とにかく値段は関係ないわけです。

ぼくなんかは作ることがもともと好きだから、素材とテーマさえ見つけられたらその先の作業は結構楽しくなるわけです。

そういうことがわかって以来、色々な切り口からプレゼント選びをしてますが、ふと思ったんです。

逆にぼくが彼女からプレゼントとしてもらうことが多いのが服や手袋、マフラーなどです。

ぼくに言わせれば衣食住の一つとして必要だけども興味関心がないカテゴリーの一つなんですよね。

それは彼女も知っています。

どんなもんかと思ってしまいます。

ただ、「思い」はめっちゃ詰まっていることはわかってるから嬉しいですが、ときめかない・・・。

嬉しいけどときめかない。

うーん。

世間一般には嬉しいのかもしれないけど、やっぱりね。

包丁とどこが違うの?

賛成してくれる人の数はかなり違いそうだけど、本質は同じじゃないか?

と思うのはぼくだけでしょうか。

男にときめきは不要なのか?

 

そしていざ、答え合わせ。

f:id:Cenote:20220219130411p:plain

 

喜んでもらえました。

ぼくも成長してきましたね。

 

Two-Way Desk制作開始

f:id:Cenote:20220103001528j:plain

今は立って仕事をする時代ですよね。

人間の骨格は座りっぱなしの姿勢には向いてないようです。

とは言え、机の多くは座って使うようにデザインされてます。

最近はデスクトップが電動で上下して、座り使いにも立ち使いにも対応できる机がありますが、それを自分で作れたらいいなと思って考えています。

まあ、実現するのはかなり難しいだろうなと思いながらも、普通に買うまでもない。というか、欲しいデスクとしてサイズが大きいんですよね。

小ぶりなのが欲しいんです。

そこで、昇降する機構をどうするか…数か月考えていますが、なかなか思いつかないでいます。

まずは電動にするか、手動にするか…

もちろん電動の方が楽ですが、製作費が嵩張りそうだし、それなら売ってるのを買った方がいいかなー。

まあ、デスクトップに多くを置くつもりがないので、手でグルグルハンドルを回して上下させる手動でもいいかなー。

どっちにしても、ちょうどいい滑車やモーターやらを探さなくてはならないですよねー。

もう一つの考え方として、スツール型机にするということもアリかと思いましたね。

つまり、立った時のデスクトップの高さに合った高椅子(スツール)とワンセットで作るというものですね。

ということで、まずはそういう上下機構を除いて、シンプルに2段構え机を作ろうと思いました。

それがこれ!

f:id:Cenote:20220102234813p:plain

完成予想図だけを描きました。

手動で昇降させるどころか、単に天板の位置を変えられるものというものです。

これでちゃんと形になると思ってますがどうでしょう。

机やテーブルは今まで4つほど作ってきましたが、いずれも脚が4本ある形で、このページの先頭の写真がその一つです。

基本的に天板だけがちゃぶ台からの再利用で、足の部分の木材をホームセンターで買ってきて作っていました。(因みにこれは施設で生活していたおばあちゃんがベッドに座って使う目的で作りましたが、亡くなった後分解してしまいました。ちょっとしたこだわりとして、後ろ足の下に横向きのキャスターを埋め込んであるので、少し奥に傾けて横向きにスライドさせると少し楽に横に移動させることができるというものでした。)

今回もできるだけ、うちにある材料で作ろうと思ってますが、今回購入しなければならないのは天板とブレース(筋交い)とダボになるかなと思ってます。

ということで、今年の制作はこの机から始まることになりそうです。

乞うご期待。

 

今年のクリスマスツリーもタペストリーで

f:id:Cenote:20211214105757p:plain

早いもんで今年も残すところ半月あまり。

我が厚労大臣の判断でコロナのためにIKEAのツリーは今年もお預けです。

でも、なかなか便利だし、結構雰囲気は出るもんですね。

それにこのデザインも本物っぽいんで、オーナメントもマッチしてるように見えます。

去年もこのツリーは狙っていたそうですが、実際に買う前に面白いのを見つけたので急遽変更したらしいです。

で、今年はこれ、というか来年もコロナの具合ではこれになるらしい。

ただね、電飾をもう少し工夫しないといけないですね。

こんなふうにいくつかの種類がありますが、うちでは一番シンプルなものにオーナメントを貼り付けるってことをしてますが、いろいろ装飾されているものもあるので、オーナメントの用意がないうちでも使えますね。

 

玄米粉 人気ゆえの在庫切れなら いいんだが 字余り

f:id:Cenote:20211210182621p:plain

このブログで紹介している、ぼくらが気に入って使い始める玄米粉がどうも売り切れてしまいます。玄米粉ってどのくらい売れるんでしょう。勝手な想像ですが、ぼくらが彼らの在庫を買いつくしているんじゃないかとか思っていますがどうなんでしょう。

せっかく気に入った使いやすくちょうどいい感じに焼けるHIRYUさんの玄米粉が売り切れてしまい、問い合わせたところ入荷予定が立っていないということで、久しぶりに万糧米穀さんの「俺の米粉」(玄米粉)に戻ってみました。

そこで気が付いたことがありました。

HIRYUさんの玄米粉には「少し粗目」と書かれていたのですが、使ってみて「逆に細かいんじゃないの?」って思ったことを先月書いたと思うのですが、久しぶりに「俺の米粉」を開けてみたところ、こっちの方が細かいように思いました。

二つ同時に開けて比べたらもっとはっきりするんだろうけど、違う日に開封して、あまり気にしないで使っていたら、全然わからないんですね。

鈍感なんですね。でも、今回「俺の米粉」を開けた感じが、より片栗粉っぽかったんです。

粒子が細かい方が水分を吸い込みやすく、混ざりやすいかと思っていましたが、もしかしたら粒子が粗いほうが水分は隙間に入りやすくて混ざりやすいんですかね。

さらに粒子が粗いほうが水分を吸収して焼けるまでに時間がかかるから、より粒子が細かいHIRYUさんの方が早く焼けると思っていたのですが、HIRYUさんの方が粒子が粗いとなると、イメージがまったく変わりますね。

今思うと、どちらも十分細かいけど、細かすぎると水分とほぼ一体化してしまって、粘土のようになってしまうので逆に火が通りにくく焼けにくいという理屈なのかなと思っています。

想像ばかりの分析なのでしょうもないことですね。

と、こんなことを書いていたら再びHIRYUさんの玄米粉が復活しました。

今となったら、水分調整と火加減でどちらもいい具合に使えるようになったんでどちらかが品切れでも心配ないかな。

それはそうと、人気がもっと出れば入荷数も増えてくるんでしょうね。そしてうまいこと在庫が回転して売切れがなくなってくれたら嬉しいです。