前回の記事で予告していたニックさんの「新たな風」
過去形VS現在完了形
まずはこのトピック。
ぼくの場合、「時制」や「冠詞」について解説しているものが目に入ると、つい見てしまうんですよね。
そこで先日、つい目に留まった動画が、
ネイティブ感覚で完了形を一撃でマスター! - YouTube
という動画で、「現在完了形と過去形の使い分け」について、説明されているものでした。
完了形の分かりにくさは英語学習においてよく取り上げられるテーマで、もちろん分かりにくさを解消するための説明は教科書や参考書、文法書などでもされていますが、その教材の中の例文では理解できたり、大まかには「そういうことだ」ということを理解できても、実際に日常生活で自然に運用する上で「どっちだろう?」とか、「どうやって表現したらいいんだろう?」と悩むことがちょくちょくあります。
特に「経験」を表す完了形なんですが、みなさんは大丈夫ですか?
現在完了形の4つの用法以外の着眼点
そして、多くの教材がだいたい現在と過去と未来を一直線上に並べて、時間の流れの中で「ここを表現する」という「一辺倒」で「当たり障りのない」解説にちょっとしたフレーバーを加えた表現で済まされていることが多いんですよね。
そんな中、いつものようにあまり期待せず(といいつついつも期待してはいる)見ていたら今まで聞いたことがない観点で使い分けていることを解説していたんです。
それにははじめ疑念を沸かされつつも「一理ある」と考えさせられた後、大いなる風穴を開け、ぼくのEnglish Worldで一部覆っていた黒雲を吹き飛ばし、景色が一変したんですね。
現在完了形って、学校では3つとか4つあるよって習いませんでしたか?
だいたいこの4つだと思います。
当然、大概の動画やサイトの説明がそれについて語られ、そこまでなんです。
可能性の有無
しかし、ニックさんは「可能性の有無」または、「可能性の継続」という視点について説明されていたんですね。
彼は、これ1つのコンセプトで説明できると言っています。動作のや状況の継続もそこに含まれるというのです。
「可能性が継続しているか」を考えて時制を使い分けるということでした。
よく、yesterdayとかlast yearとか、時の副詞句が入っているときは完了形は使えないと習いましたよね?
これを「可能性」という視点でみると、過去の動作をもう一度繰り返そうと思っても昨日や去年はもうやってこないということになります。
だから「過去をもう一度やれる可能性はこれから来ない=可能性は継続していない」から、現在完了形では表現できない。
ということのようです。
言い方を変えると、「継続の可能性がないものを現在完了形で表現すると不自然に聞こえる」とも言えるのでしょう。
刷り込み感覚を最新知識で抑えつけろ!
動画では可能性の有る無しの判断として、
「世界貿易ビルに行ったことがある」
という例文を使っています。
普通の日本人(今までのぼく)だったら、時を特定する副詞は使ってないし、「行ったことがある」という経験っぽい日本語に引きずられて、完了形を使ってしまうと思うのです。
しかし正解は過去形で、その理由は、世界貿易ビルはもう存在しておらず、行くことができない、言い換えると行く可能性がないからということです。
中学校英語の刷り込みで、こういうところに過去形を使うのって、気持ち悪い感覚がありません?
ネイティブじゃないクセにいっちょ前にそういう「感覚」が寄生してしまっているんです。
おそらくこの感覚を持っている日本人は多いと思いますがいかがですか?
ということは、例えば、
「ビートルズのコンサートに行ったことがある」
とか言う場合も、ビートルズは解散してるし、メンバーも亡くなっている人が多くコンサートがある可能性がないと判断して、過去形で表現するのが正しいということになるんだと思います。
今の間違った「経験」の感覚が拭えるようになるのには少し時間が必要かも…。
タイミングによる可能性を考える
次にもうちょっと短い時間軸で見てみます。
発言のタイミングが肝となることがあるようです。
「ランチを食べた?」は
"Did you have lunch?"
のように過去形でも
"Have you had lunch?"
と、現在完了形でも間違いではないのですが、「いつ訊いているか」により、適切か不適切かが決まります。
現在完了形で訊ける(適切)のは、まだランチと呼べるものを食べる可能性が残っている時間帯(午後1時頃の時間帯)までということで、午後5時頃など、もう夕飯の時間帯に現在完了形で訊くのは不自然(不適切)ということらしいです。
だから、メキシコ人とか午後2時ごろから午後4時頃まで昼休みをとる習慣のある人たちが話しているというシチュエーションなら、現在完了形が使える時間帯が変わるということだと思います。
とても文脈依存型の用法ということですね。
お~~!そういうことか!スゴイ納得しませんか。
じゃあ、今後可能性のないことを以前にしたことがあるという経験はどう訊く?
そこで、気になったのが、前出のWTCやビートルズのコンサートのように、今後行きたくても、もう行けないところに過去行った経験はあるかという質問はどうするのか…
つまり、
「WTCに行ったことはありますか?」
「ビートルズのコンサートへ行ったことありますか?」
と質問したい時です。
今までのぼくなら絶対現在完了形を使ってしまいますね。
でも、この動画のコメントに同じことを感じた人の質問があって、WTCのケースを引用してニックさんが答えているんですね。
それによると、現在完了形で訊くと、やっぱりWTCはまだ存在するように聞こえるそうです。
なので、ここでも
"Did you go to the WTC?"
とか
"Did you ever go to the WTC?"
となるそうです!
ぼくは、これだと、単純に「WTCに行きましたか?」という過去の文章と同じになるので、例の「変」な感覚を覚えるんですよね。
でも、よく考えると「WTCに行きましたか?」って実際の会話でどういう流れで使いますかね?
なんかぶっきらぼうで唐突過ぎて、和文英訳テストでしか読まない日本語のように思いますよね。
実際の会話では、「いつ」という縛り(条件)がないと不自然じゃないでしょうか。
きっと副詞節を入れると思うんですね。例えば…
「まだWTCがあったときに、行きましたか」
という具合にです。
そう考えると、英語の過去形で
何の脈絡もなく"Did you go to the WTC?"とだけ訊かれたとき、まず
「WTCに行きましたか」
と
「WTCに行ったことはありますか」
という日本語訳(解釈)の候補が上がったうえでどちらにしよう?と考える。
前者は「いつ」という縛りがないので何か足りない感が残り不自然だ。
その点、後者の「行ったことあるか」という日本語は条件節なしでも自然なので、後者で理解しないと不自然になる、というしくみだと思います。
因みに「まだWTCがあったときに、行ったことありますか」と、いかにも「完了形の経験」っぽい日本語も成り立つと思いますが、これも英語では過去形となると考えてよいのでしょう。
考えてみると、日本語の「(時間や時点を特定しない過去に)行きました」という概念が、「行ったことある」という表現だと言えそうです。
エンパイヤ―ステートビルだったら?
試しに「エンパイヤ―ステートビルに行ったことありますか」で考えてみると、まだそのビルは存在するので、「まだエンパイヤ―ステートビルがあったときに」という「時の副詞節」は事実に反するため付けることはないですよね。なので、
"Have you been to the Empire State Building?"
と現在完了形で言うことができ、「実際にまだ存在するESビルに行ったことがあるか」という解釈になると考えられるんじゃないでしょうか。
もしも、
"Did you ever go to the Empire State Building?"
と訊かれたとき、「いったことありますか」という経験を表す意味に理解するには、「まだそのビルは存在するしなあ」という矛盾した思いがよぎるのでしょう。
だからといって、「前回NYへ行ったとき」などの「いつ」という副詞節なしに単純な過去形で理解することも不自然。
つまりどう解釈しても不自然な不適格な文章ということになると考えられるのではないでしょうか。
ただ、現在完了形で言うべきところを過去形で言ってもよい、ということを最後におっしゃっているので、この辺はその人の言語運用のクセや、両者の共通認識具合やシチュエイションにも寄って噛み合わないと感じることがあるのかもしれません。
過去形に「経験」用法を入れる?いや、入ってるぞ
だから、そうなると、ルール的に考えても、日本語では「行ったことありますか」と経験っぽく訊いている(現在完了形を使いたくなる)けど、英語では過去形を使ってよく、それがネイティブには自然に聞こえるのだから、辻褄は合いますよね?
ちょっと慣れるのに時間がかかるかもしれませんが、そうとわかれば自信を持ってそのように使い続ければいいだけですよね。
「したことがある(経験)」という概念が「過去」のことであることは容易に納得できると思います。その「表現」を「現在完了形」の専売特許のように習ってしまったために、英語にしたときには現在完了形で書かなくてはいけないと惑わされているのではないでしょうか。
これらを鑑みると、「過去形」にも日本語の「~した」という表現だけでなく、「(経験)したことがある」という日本語の「表現」も、概念と一緒に「過去形用法」としてあり得ると認識してしまえばいいのではないでしょうか。
英語で時の副詞が付いていない過去形も「(経験)したことがある」と訳せるとしたらすべてうまくいくように思いました。
…と思って、参考書を手あたり次第調べてみました。
マークさんも解説してますね
「実践ロイヤル英文法」には過去形のセクションに「現在完了の代用」という用法が記載されていました。
"ever, neverを伴って、過去から現在までの経験を表すこともある。"
言われてみると何となくこの「~代用」という用法を見たような記憶がありました。
しかし、当時は当然「代用って何?」ってイマイチピンとこなかったという気も薄っすらしてきました。
そして現在完了形のセクションに、過去形で過去の経験を聞くことができるが、
「彼女に会ったことがありますか」という日本語を「過去形」で
"Did you ever meet her?"
と質問すると、
”彼女が亡くなったか、とにかく彼女に会う機会はなくなっている、という前提があるかのような印象を与えかねない”
と解説されていました。
亡くなっているなら会える可能性がないということ…。
「与えかねない」とか不都合っぽく書かれていますが、とにかくそういう印象を与えたければ過去形を使えばいいということですよね。
お~~!正しくこれじゃん!
もう一つロイヤル英文法(「実践…」ではない)でもこの用法を説明していました。
"Have you visited Gauguin exhibition?"
VS
"Did you visit Gauguin exhibition?"
で、前者はまだ展覧会が開かれているという含みがあるが、後者は終わっている"ということをはっきり示すことになるという説明もある"。
とのこと。
最後の「...という説明もある」と言っているところから、ネイティブの中でも感じ方という点で、意見が少し割れるのかもしれませんが、まあ何のことを言っているか今では少し理解が深まりました。
その他にもいくつかの参考書を参照しましたが、この点について言及していても理由やイメージまでを説明しているものは見つかりませんでしたね。
「アメリカ英語の口語では、そのように使うこともある」と書かれているものもありましたが、正しいんですかね?ニックさんはオーストラリア人ですが、そういう感覚をお持ちのようですからね。
この大して大きく取り上げられていないことこそ、大切なのに明確に簡単に説明できないことで、結構日本人を悩ませてきていることなんじゃないでしょうか。
そして、この二つの参考書にはいずれもマークピーターセンさんが関わっていました。
何十年も昔、学校の先生に勧められて「日本人の英語」という本を読んで感激したことがあります。
マークさんも「感覚」を言語化するのが上手な学者さんなんでしょうね。
何か上から目線のような書き方で申し訳ないですが、そういう資質を持った学者さんは大切ですよね。
まとめ
ということで、少なくともしばらくはこの思考で行き詰るまでは慣れるよう努めて、刷り込みから脱却して行こうかと思います。
ニックさんの動画ではそこまで言ってませんが、そのように説明が付くように思いました。
これがネイティブの感覚とのことですが、ネイティブの人でもこの「可能性」から来る不自然さのメカニズムに気が付いている人は少ないんじゃないかと思います。
だから今まで誰にも明確に答えてもらえなかったんだと思いますし、この解説があまり世に出回っていないのではないでしょうか。
ニックさんは、その他、完了形の使い方で有名な4つの用法に分けられないものも説明されています。
詳しい解説は彼の動画を見ていただけたらと思いますが、ぼくにとってはとても斬新な考え方の糸口で、多くのシチュエーションでの表現の暗雲がこれで少しずつ晴れていくようになりました。
しつこいようですが、自然体でケバケバしくなく、無理に興味を惹こうとしていないアイキャッチ画像だと思いませんか?
ぼくの文章の方が無理に誘導してるようですかね?
いずれにせよ、ぼくはこういう動画は好きで、ニックさんの動画、楽しんでます。
I'm lovin' it!(たぶん今の感覚はこれであってると思います)
この表現についての動画もいいですよ~。
これもうまく自分に落とし込めるようになったら、また紹介したいと思います。