雑食思想の溜め池

生活していれば自然と湧き出て来る思いの数々。ここは、ぼくの中でゲシュタルト形成や拡張へ向けて流れ着いた、様々な興味の源泉からの思想が集う場所である・・・。と意気込んで始めたものの、だんだんとその色が薄くなってきました。

どちらさまですか危機一髪

今年も忘年会シーズンになりましたが、この時期になると毎年思い出すヒヤリハット事故があります。事故と言っても実際にはニアミスで発生してはいないので、「ヒヤリハット事故」というのは矛盾した表現かもしれません。つまり自分しか、それを事件として認識していないわけで、誰にも気づかれていない事柄なのです。とにかく、一人で「危なかった~」と胸をなでおろした一件についてお話ししたいと思います。

それはまだ私が派遣社員としてある大手IT企業で務めていた時のことです。その会社は「大 手」と言うだけあって、また自分が派遣社員ということもあって、そこの社員さん一人一人に紹介されるわけでもなく、会社の機能やら組織などをしっかり教えてもらう必要もありませんでした。働き始めてからも社員の全員とは知り合うことなく、名前すら知らない人が周りにたくさんいました。初めはごく身近なことだけを知るにとどまったまま働いていましたが、徐々に接する人間も少しずつ自分の部署外にも広がっていきました。

そして数年が経ったある年末、所属していた部署と同じ傘下の部署が合同で忘年会をすることになりました。取り敢えず顔は知っている程度の50人ぐらいのメンバーでの忘年会。特にその年にはその部門で大きな実績を残せたということで会社のかなり上層部の方たちも参加しているようでした。

しかし私は所詮ただの派遣社員。特に組織のことなどあまり興味なく、誰がどこそこの部長で誰が部門長でということまでは特に気にしていません。たまに見かけたことがある方だなあ、グループ会社や協力会社の方かなあ、と頭の隅っこの方で半分無意識で感じている程度でした。そんな方々が数名参加されていたのです。

レストランで席に着くと、ぼくと同じテーブルに、そのような方が一人同席することになりました。同席していた社員2人とは面識があるようでした。肩書きや役職でなく、苗字で呼ばれていた若干東北弁訛のあるその方は、他の社員とお互いに気さくに会話されているそんな話ぶりから、この課と繋がりが深そうな様子だったので、それなら初対面なので一応挨拶はしておいた方がいいだろうと思いました。
 
おそらく、だいぶお偉い方だろうから、ご自分の役職やら名前、それこそ自己紹介などぼくのような、一介の派遣社員にはわざわざしないだろうと思ったし、「君、初めてだよね?どこの部署?」と訊かせてしまうよりも先に、まずはこちらから進んで自己紹介した方がいいだろうな、でも何の脈絡もなくいきなり自己紹介するのもどうか、とか考えていたところで、偶々隣の席になってしまったというところです。幸か不幸か、せっかく隣にいるんだからというだけで、できるだけ早く挨拶しときたい、とだんだん焦りを感じ始めました。お互いの素性も知らないで会話を始めるのも気が引けたので、導入の話題として、どういう立場(役職)の方なのかを訊いておいた方がいいだろうか?しかし何て訊いたらいいか?「どちら様ですか?」かな。いや「どなたさまですか?」いやそんな訊き方も変だ。誰か、気を利かして話を振ってくれ!とばかりに、みなの会話にわざとらしい相槌を打ちつつ、タイミングを探っていました。それにしてもその人も、まるでぼくが透明マントでも着ているかのように全く興味を示す様子もなく、他の社員の方たちとお話をされていました。合コンするとこんな気持ちになるのかな?とその時思ったかどうかは覚えていませんが、かわいい女の子が相手ならまだしも、こんなおじさんを隣に悶々とする中、宴は進んでいくのでした。
 
しかし、いろいろ気を使いながら、お酌をしながら他の人とする話を聞いていましたが、まったく会話が途切れる様子もないまま、結局その方とは話をすることなく、その会も終盤を迎えてしまったのです。そこで、意を決して告白でもするかのように、背筋を伸ばして、「ところで…」と口をパクパクさせたその瞬間、幹事の方が
「それでは宴もたけなわでございますが…」

と、会の締めに突入してしまいました。ついにその方の素性も分からないまま、諦めムードへと移っていきました。多少の心残りを抱えながら無意味な緊張感から脱力していく中、幹事のスピーチは続きます。

「では、ここは1つ社長から一言いただきたいと思います…」

そんな言葉が聞こえたと思ったら、ぼくの隣にいたその東北弁の方がスクッと立ち上がられました。

「ま・さ・か…」

そのときぼくは「ひぇ~」と声こそ出ませんでしたが、冷や汗が出ました。

 
何と、その方は社長さんだったのです。言われてみれば、それまでこの会社の社長がどんな人なのか、まったく意識していませんでした。ホームページにも写真は載っていなかったし・・・。それに今回その部の業績が良かったからといって忘年会に参加されているとは思いもよらず、ましてやまさかこんな近くに来られるとも思ってもみなかったのです。誰もわざわざ自社の社長さんを部下に紹介する訳もありません。色々なことが腑に落ちていきました。
いくら組織に興味がないと言っても、自分が数年働いてきた会社の社長を認識できないなんてありえないですよね。自分でも非常識だったと思いました。

その後はただひたすら、「いやあ訊かなくてよかった~」の独り言の連発です。「危なかった~」危機一髪です。若干まわりかけていた酔いが一気に吹っ飛んだ思いでした。