雑食思想の溜め池

生活していれば自然と湧き出て来る思いの数々。ここは、ぼくの中でゲシュタルト形成や拡張へ向けて流れ着いた、様々な興味の源泉からの思想が集う場所である・・・。と意気込んで始めたものの、だんだんとその色が薄くなってきました。

翻訳するとは・・・母国語⇔外国語の往復?

翻訳するという作業をみなさんはどのように感じているでしょうか。

...

いきなり、なんのこっちゃという感じですよね。

うん。

今日はちょっとマニアックな独り言をしたいと思います。

翻訳のイメージです。

例えば自分の母国語は日本語で、外国語として英語も使えますという状況で、翻訳するという作業をイメージしたとき、どのようなことが頭に浮かびますか。

タイトルに書いたように

「日本語で思っていることを英語に置き換える。またはその逆」

というイメージをする人が多いんじゃないかと思って、それを「日本語⇔英語」で表してみたわけです。

ん?

で?

ぼくは最初はそういうイメージだったんで、多くの人もそういうイメージなんじゃないかと思って書いてみました。

それを前提として少し話を進めてみます。

英語が使えるようになったころはそういうイメージだったんですが、それが、ある日、というか翻訳をしてしばらくして、他の人の翻訳の校正を始めたらそのイメージでは、「翻訳」をやって行くことはできないことに気が付いたのです。

特に日本語から英語に訳す英語ネイティブのクロスチェックをしていて感じましたね。

その前に…

「英会話」をするなら

ある程度まで英語ができるようになってくると、アドバイスとして、よく、「言いたいことは英語で考えろ」って言われませんか?

日本語を考えてそれを英語にするんじゃなくて、最初から英語で考える訓練をするとさらに英語ができるようになるというアドバイスですね。

それって、自分の頭の中から湧き出る言葉を日本語ではなくて、最初から英語にするということなので、まあ自分が作り出す文章なわけです。

つまりオリジナルの文章、会話や日記で自分の思いを表現する場合の話ですよね。

「翻訳/通訳」をするなら

それでは、英語から日本語、またはその逆に翻訳や通訳する、つまり訳すときはどうするかってことを考えたいと思います。

それが先程の「日本語⇔英語」の作業をすることですね。

まず翻訳とまで行かずとも、訳すということは、誰かが書いた(または言った)言葉からスタートしますよね。

日英なら日本語を頭に思い浮かべて、文章を分析します。主語が何で動詞が何で・・・という具合に。

そして、「使う単語や文法を・・・」って考えるのが普通かと思います。

おそらく取り扱う文章の大部分はそう言った機械的な作業で問題ないでしょう。

まあ、最初はたいていそれでことが済むことが多いんですが、それをやっているだけだと、やがて行き詰るときがくる。

ぼくには、実際に来た。

ということを言いたかったんです。

英語⇔「事柄・現象」⇔日本語

日本語を見たり聞いたりして、それを単に英語に「置き換える」ようなことをやっていると変な訳になることがあるということです。

わかりやすい例で行くと、

「今、誰がボールを持っていますか。」

という日本語を英語にするとします。

「持つ」は「have」や「hold」などを使うとして、「ボール」は最初に思いついた単語が「ball」だとして、そこから出来上がる英語が

"Who holds the ball right now?"

だとします。

それぞれの単語も対応しているし文法も正しいですね。

意味も通じます。

でも、これがビジネスというシチュエーションだとしたらどうですか。

つまり、文章的には割と口語的な表現かも知れませんが、メールなどの文面であれば

「今、誰がボールを持っていますか。」

としか書いてなくても、

「今、(この件について)誰がボールを持っていますか。(早く処理してください)」

という文脈の中だったらそのままでは変ですよね。

"Who are we waiting on right now?"

あたりが自然な英文になるでしょう。

そういうことです。

臨場感を持って訳しているか

だから、日本語が頭に浮かんでそれを訳してみるとき、その日本語が表す状況を思い浮かべて、それを英語にするということをしないといけないということです。

これはできる人は当たり前のようにできるんでしょうけど、ぼくのように時間がかかる人の方が結構多いんじゃないでしょうか。

英語ネイティブを含めてかなり両言語に卓越している人でもそういう人が多くて、簡単に日本語から英語にできて、それ自体は文法も間違ってないし、文章単体としてみたら意味は通る。

でも翻訳者としてどうでしょう。

「文脈にあってないだろ!」ってことがしばしばあって、それは何度注意してもなかなか改善しないんです。

言うまでもないかもしれませんが、英語ネイティブの中にもスゴイ翻訳者はもちろんいて、そういった変換をサッとできたり、日本人以上に日本人の心を持っている翻訳者から日本人だと見落としそうな注釈を付けてくれる方もいることは書いておきたいと思います。

さて、英語ネイティブによって日本語から英語に翻訳された訳文をチェックしていると、結構こういう訳に遭遇するのですが、訳者に「この英文は自然ですか?私が思うに…」と、そう思った理由とともに失礼にならないように差戻しすると修正されてくるのです。

差し戻されてようやく頭の中に状況が描かれるんですね。

まあ、ほとんどの場合、不自然であることを素直に認めてくれることが救いです。

これは、まだ翻訳経験の浅い英語ネイティブだけでなく、日本語検定のN1を持っている人や、ほぼ完璧なバイリンガルでも訳すという作業をするとそうなってしまう人がいます。

訳しているドキュメントが自分の精通している分野だと、おそらくその状況が頭の中に正しく前提を作り上げて、それを中心に日本語から英語へと変換していくんでおかしなことにはならないんです。

要はどのくらい原文ドキュメントの世界に没入できるかによるんですね。

翻訳者は役者?

簡単に言うと、その文章を書いた人に憑依するってことですね。役者みたいなものかもしれません。

しかし、精通してなくても、前提を確認して、せめてその場面をしっかり想像することが大事なんです。

単に母国語と外国語を行ったり来たりするだけでは翻訳にはなりません。

母国語と外国語の間にある、言葉になっていないその思いを感じてモクモクと成長させて作り上げることが大事なんです。

そこからそれを母国語にどうやって表現するかという作業をすればより良い翻訳になると思っています。

そのためにリサーチが大切になって来るんですよね。

そのドキュメントで扱っている内容を取り込んで憑依する準備をする。

単に「専門用語」を「英語では何ていうのかなあ~」とか言うことを知るだけではなく、その題材の空気感を得ていくためにするんですね。

Between the words and the heart

母国語と外国語の間を考えるということは、日本語だけで考えているときにも似たような作業をすることがあります。

とても良いものや美しいもの、逆に嫌なことなどを人に訊かれて「言葉にならない」って言ったりしますよね。

あれなんか正に日本語なんだったらわかるだろ?

って言いたくなるところだと思うんですが、思っていることと母国語の間が上手く繋がっていないってことですね。

Between the words and the heart

というタイトルの曲があります。

これは、ぼくが大好きな小田さん(小田和正さん)の歌なんですが、そこには

「言葉と心の間、それは君しかわからない」

という一節があります。

とにかく今思っていることを言葉にしないと伝わらないよ、と言っていると思うんですが、まあ、この場合は、単に

「黙ってたら伝わらないよ」

というだけかもしれませんが、言葉にしたことで誤解が生じることもあるわけで、そんなときはもっと表面的なことじゃなくてしっかりと心に向き合ってその心情に相応しい言葉を探して伝える努力をしよう、と言っているのではないかと思ったわけです。

つまり、日本語だけの場合でも、その場、その場面の状況などの心の中で描いた絵と言葉の間で行ったり来たりしているということです。

おそらく、英語とドイツ語、スペイン語とイタリア語やフランス語といった同じ言語ルートを持つ言語間ではその差が大分少なく、単純な言葉の置き換えで済むケースが多いでしょう。

しかし日本語とヨーロッパ言語のような組み合わせの翻訳では、言語の「気持ち化」や「情景化」、さらに、そこからの言語化という作業が必要不可欠になります。

たかがボール、されどボール

さて、先程の

「今、誰がボールを持っていますか。」

についてもう少し書いてみます。

日本語の「ボール」は発言の順番を表すバトンのようなものの比喩として使われており、英語でも

“The ball is in your court.”(あなたの番だ)

というように使うようですが、ボールをそのように使うのは、この言い回しに限定された表現のようです。

ballをそれ以外の使い方をすると、不自然となり、相手にいろいろ考えさせてしまうみたいなので比喩は要注意です。

もしも

Who hold the ball now?

と言った場合、誰の行為を待っているのか、というよりは、誰に権限や責任があるか?といった方向で解釈される可能性が高いようです。

この日本語の使い方を知っているかどうかということが大きいと思いますが、知らなければ不自然さは感じると思うんですね。

でも不自然さを感じた時にいかにそれにこだわるかが大切なんです。

普段の会話でしたら多少聞き流して、後で知るってことも成長の過程だと思いますが、翻訳をしているとそういうわけにはいきません。

ここで出した例は簡単な分かりやすいものですが、とにかく翻訳とは単に二言語間の往復ではないということです。

以上、マニアックなお話しでした。