おそらく、どの言語もそうだと思うのですが、単語、特に動詞の活用を考えたとき、その言語に現在形、過去形、未来形などがあったとしたら、原形に一番似ているのは現在形なのではないでしょうか。
例えば、日本語で「書く」という単語は、動詞の原形(辞書で引くときの形)で、現在形は「書く」ですよね?形としては「似ている」というより、「同じ」です。
英語でも同じく、「write」というのは動詞の原形で、現在形も「write」で同じです。
三単現の時にwritesとなるぐらいで、他のヨーロッパ語学習者からしたら覚えやすいのではないでしょうか。
英語で言ったら原形と現在形の形が違うのはbe動詞ぐらいです。
ヨーロッパの他の言語には原形と現在形などが異なる言語はたくさんありますが、英語はその点覚えることが減るということでカンタンと言われるのかもしれません。
だから、学習者がまず動詞の勉強を始めるときは動詞の原形を覚えて辞書が引けるようになり、次に現在形を覚えるという方向で学習すると思うんです。
でも、それがゆえに学習者を困らせているようにも思うんです。
動詞は過去形から学ぶべし?
はい、今回ちょっと思いついたこととは何かというと、言語、特に英語を学習しようとする人、特に子供で、まだ日本語でも思っていることを明確に表現できないぐらいの子は現在形は後になってから学んだ方がいいのではないかということです。
前もってちょっと付け足しますが、動詞の種類は考えた方がいいと思います。
具体的には、せめて過去形を先に学んでから学ぶというものです。
なぜかというと、動詞の原形と現在形は、形が同じなのに概念が違うからです。
「形」や「綴り」が似ているから覚えることは少なくても、その違いを検知する力は必要ということです。
現在形は中途半端に抽象的
原形は、動詞の抽象的なイメージを与えてくれるものです。
その「動作」「状態」を示すだけで、非常に抽象的です。
言うまでもなく、「誰が」「いつ」といった概念がないものです。
対して、現在形はそこに時制の意味が付加されたという意味で少し具体的になります。
しかし、その、「現在形」という名前ほど「いつ」が具体的ではないのが厄介な点です。
そのイメージを母国語でできない状態で第2言語を学ぼうとしても、身につかないのではないかと思うということです。
次に思うことは、現在形そのものが表す概念というか、内容自体が難しいのでは?ということです。
現在形VS.過去形
ここでは、英語、さらに動作動詞に限定して話をしますが、動詞を覚える際に原形の次に形が似ている、英語の場合は同じである現在形を覚えるのが主な道筋だと思いますが、現在形って何を表すのかと言うとかなり複雑だと思います。
現在形のことを話す前に、過去形を見てみると、過去形は過去に起こったことを言い表すという意味で、比較的簡単な概念だと思います。
先程の「書く(write)」という単語で言うと、「wrote」は「書いた」で過去のある時に何かを書いたことになりますよね。
しかし、現在形で「書く」というと、今書いているの?というとそうではないですよね。今、おこなっている動作なら現在進行形を使います。
現在形の「現在」は名前だけ
通常、現在形は、普遍的な行動とか、日常的に行う動作とか、言ってみれば、動作した時間がはっきりしない時制ということになります。
過去じゃない、未来でもない、現時点でもない。
文法的な名前は「現在形」で、「現在」は「今、この瞬間」という意味に思いがちですが、「現在形」の意味は今っぽくない。
その概念は、ある程度人生を経験して、考えを巡らせてやっと身に付くものじゃないでしょうか。
ぼくははっきり言って英語は好きでしたが、中学生時代に、現在形がこういう概念だということはしっかりとわかって学んだという記憶はありません。
そういう概念は教えられていたと思いますがそれをしっかりと理解したつもりはなく、誤解しながらも身につけていたんだと思います。
だからいろいろなテストでは100点は取れなかったのかもしれません。
でも、学校の授業には着いて行けていた。
ぼくの場合は、英語が好きだったという、学ぶ意欲だけはあったんで、結構いい加減だったから前進する力で誤魔化せていたんでしょう。
そして、その誤魔化す力はある程度の人は持ち合わせているから、今の英語教育がそのままのような気がします。
だから実際は、ややこしくて、多くの学習者が混乱しながら何とか学べるけど、中には学べない、どうしても前進できない子が数割いるんじゃないでしょうか。
He writes screen plays.の意味は?
例えば、writeを使って、
He writes screen plays.
を訳してみてね、と英語を習いたての中学生に言ったら、おそらく
「彼は脚本を書きます」
と訳して、丸がもらえるかもしれません。
しかし、それってどういう意味?と訊いてちゃんとイメージできる子はどのくらいいるんでしょうか。
もし、この英語が訳せない子がいたとして、もし訳せない理由が、その日本語の意味をイメージできないからだとしたら、その子はとても語学センスがあるんじゃないかと思うんです。
つまり、「彼は脚本を今書いている」わけではない。
日本語としたら未来に書く予定があるようにも読めます。
おそらく、
He will write a screen play someday.
という感じですかね。
そうなると、現在形の意味として、普段から行っている動作として考えると、
「彼は、普段脚本を書いています」
という日本語が近いのかもしれません。
そんなことが、うまく説明できないまま頭の中を渦巻いているから訳せない。
そういう子もいるんじゃないでしょうか。
普段何しているかがカギとなる?
それでもう一度英語を見てみると、普段から脚本を書く人ってそういるもんじゃないので、普段から書いている人⇒それを仕事としている人・・・つまり
「彼は脚本家です」
と言うのが、この意味になるわけです。
とても時制だけの問題ではないように思いませんか。
「そこまでできなくてもいい」
「それは翻訳の技術だ」
というかもしれませんが、文字として訳出できなくてもそういう考え方ができて初めて英語を勉強している意味があると思います。
それじゃあ、
He writes English.
を訳すとどうなるでしょう。
さっきの例に従って、今英語を書いているわけではなく、だからと言って、
「彼は英語の先生です」
とはなりませんよね?
「普段書くときは英語を使う」
というだけですよね。
そう思うと、「だから?」「何が言いたい?」
ってなりませんか?
同じように、
He runs.
と言ったら、
「彼は普段から走っています」
と言う意味だと言って、
彼は陸上競技の選手だって言い切っていいのかというとそうでもない。
だからと言って普段、道に出たら歩かず常に走っているという意味にもならないでしょう。そういう意味に限定するなら、それなりの文脈が必要になります。
だから、この文章単体では、意味が分からない文章と言えます。
過去形は少し具体的
でも、過去形で
He ran.
と言えば、いつのことだかは分からないにしても、
「彼は走りました」
ということで、彼が陸上の選手かもしれないし、学校に遅刻しそうな小学生かもしれない。でも動作として、「過去のいつだかに一回走ったことがわかる」だけでとりあえず着地した感があるのはぼくだけでしょうか。
少しフワついているなら、「昨日」とか「今朝」とか、そのような簡単な副詞を付ければだいぶ落ち着くと思います。
まあ、すべてがすべて当てはまるか確認したわけではないですが、現在形の作文をすると、とにかく何かしら前提がないと、
「で?」
って聞きたくなる場合が多いと思うんです。
そして、英語を習い始めたときは言うまでもなく、そんな前提まで文章にできないから、何となくぼやーとした文章を書いて分かった気になる。
それをいくつかこなしていくうちに麻痺してきて、そして覚えたら過去形を習う。
そうすると活用形で少し苦戦するかもしれないけど、意味的にはすんなり理解できる。
英語を習始めて嫌いにならないために
ここからはぼくの想像ですが、「英語ができる」子はそんなプロセスを通過するのではないかと思うのですが、現在形の日本語のおかしさに引っかかってしまった子は、そこから抜け出せない。
「英語ができない」または「英語が嫌いな」子になってしまうのではないでしょうか。
もうちょっと付け加えると「現在形」には仮定法現在とかいう概念もあります。
つまり、「現在形」という形を使って仮定の内容を表すというものです。
他のヨーロッパ言語は、この点でも活用してその概念を表現しますが、英語ではそれが見た目からは判断しにくくなります。
これはとても高度な概念だと思うんですね。
体系的に学んだり教えたりするには、部分的に見て改善してもどこかにしわ寄せがいくと思うので、声高には言えませんが、この現在形は、特に動作動詞では最初に習わない方がいいように思うというのが今回思ったことでした。