雑食思想の溜め池

生活していれば自然と湧き出て来る思いの数々。ここは、ぼくの中でゲシュタルト形成や拡張へ向けて流れ着いた、様々な興味の源泉からの思想が集う場所である。

日本語の文法わかってる人ーー!本当にわかってますか?

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英語が得意な人VS.苦手な人

ごくごくシンプルに考えて、英語が得意な人は英語が苦手な人を見て、どうしてこんな簡単なことがわからないのかと思い、英語が苦手な人は得意な人を見て、なんでわかるんだと思うのではないでしょうか。特に文法に得手不得手がある人の間ではその溝が広がるばかり。そんな人たちの頭の中はもしかしたらこんな風に感じているんじゃないかということに思い当たった本の紹介です。

英語が得意な人ーー!

生まれながらにして、というか育った環境からして完璧なバイリンガルの人ではなく、母国語を日本語として英語を学び、勉強して得意になった人ーー!

この「勉強して」というのがミソです。日本語が母国語で、ある程度大人になってから英語圏の国などへ移り住み、英語を耳から英語を学んだのではなく、机上で文法からコツコツ勉強して、どちらかというと会話よりも読み書きが得意な人ーー!

にお訊きします。

日本語は得意ですか?

言い方を変えると、日本語の文法はわかってますか?

ぼくもできるだけ謙虚に申し上げますが、ここでは英語は得意な方だと言っておきましょう。バリバリ英語圏の国に一時期住んでいたこともありましたし。でも、住み始めのころはホームステイ先の3歳児の子に

"Do you like football?"

と訊かれ聴き取れませんでした。もちろん言葉が文字になっていれば理解できました。つまり当時は読み書きはできたんです。今では会話もできますが、そんなぼくは日本語は得意ですかと訊かれたら、どう答えるでしょう。実際日本語の文法は勉強した記憶ないからなあ。日本語の文法はわかってますかと訊かれてYesと答えられるかな。でも・・・

そこでまず頭に浮かぶのが、主語や動詞、形容詞、副詞、前置詞、助詞・・・。

うん、これらの品詞や用語はちゃんとわかってるな。日本語でもこれがわかってないと英語できないよな。もちろん日本語では述語とか述部って言葉使うけど、つまりは主語以外のところだよな。前置詞は日本語にはないけど、逆に助詞は英語にはないよな。

そういえば、英語の基礎を中学生に教えるとき、もしくは英語が苦手な大人に教えてて

「この日本語文章の主語はどれ?」

「『忙しい』の品詞はなに?」

とか言って、日本語と英語を対比して考えたりするよな。そして

「え?わからない。しょうがないなあ、じゃあ教えてあげよう・・・」

とかなんとか言って、解説を始めるとき、こういうことがわかっている自分は日本語の文法はわかっているといっていいんかな?英語には次に基本的な文法としては不定詞や関係代名詞、時制といったことがありますが、日本語のそういった単元は?連体形、連用形ぐらい?

一応この程度のことを、ここでは日本語の文法がわかっているとしてます

今回、ここで問うてる「日本語の文法はわかってますか」っていうのはこの程度のことでして、実はぼくもこの程度のくせに英語と日本語を結びつけるだけの文法、いわば「基本」はわかっていると思っていました。日本文法の最高峰である敬語は特に英語を学ぶ上であまり必要ないのでここでは省きます。

そんな人がこの記事を書いていると思ってください。

そして、英語が不得意な人の中にはその点がわかっていないのが原因だという人が多いんじゃないかとも思ったりしました。でも、この本を読んでみてちょっと頭がクラクラっとしたんですね。

日本語の文法と英語の文法は違うのはわかっているけど・・・

何でクラクラッとしたかというと、

日本語と英語の文法、そこまで違う?というかそんな風に違うの?

と思ったんです。違うのはSVOとSOVのようは語順絡みのことかと思っていましたが、思わぬ形で違ったんです。

英語における名詞と日本語における名詞。英語における動詞と日本語における動詞。英語における形容詞と日本語における形容詞。

その辺の品詞を対比すると共通な部分が多く、まあ、それほど違いはなさそうです。

しかし、英語における主語と、日本語における「主語」。

英語における主語と動詞の関係を日本語に適用できるかというと、そこができないようなのです。つまりは構造が全く違う。いや、構造が違うってのもわかっていたけど思わぬ形で違う。順番が違うという単純なものではないのです。その説明をするうえで少し例文を使わせてもらいます。

例えば日本語で

  • 母が台所で料理を作る。

という文章の英作文をするとき、

英語が得意な人はすぐに

  • 母が→主語
  • 作る→動詞
  • 料理を→目的語

というように、日本語を分解し瞬時に理解し考えをスタートします。そして

  • 新緑がとても美しい。

という文章は、

  • 新緑が→主語
  • 美しい→形容詞

そして動詞はない→Be動詞

もう一つ

  • あの人が責任者だ。

という文章は

  • あの人が→主語
  • 責任者→名詞

そしてこれにも動詞はない→Be動詞

というふうに即座に解釈しませんか。そしてその解釈はとてもすんなりできませんか。でも中学生のころを思い出してみてください。初めてBe動詞に遭遇した時どう思ったかを。最初の文章と次の2つの文章、これだけでかなりの違いですよね。

英作文のとき何を考えている?センスの問題?

日本語を英語にしたいとき、文法が得意な人は日本語をスキャンして動詞があるかないかを見極めます。そして、動詞がないときはBe動詞(進行形や受動態は除く)を使って第一文型だ!第二文型だ!というふうに判断するじゃないですか。

しかし文法が得意ではない人は日本語に動詞がないってどういうことってなるんじゃないですかね。もしくは動詞の有無すら判別がつかない。(それがこの本を読んで最初に「なるほど・・・」そしてクラっときた点です。)

ここで、おそらく語学センスの問題が問われるんじゃないかと思うんですね。センスというのは日本語と英語の違いを無意識に補正する能力で、それが備わっている人は少し練習すればすぐに身につきます。そして知らないうちに英語と日本語のこの辺の違いは誤差程度にしか感じされなくなり、英語の基本はSVO、日本語の基本はSOVだと考えるようになります。

  • 新緑がとても美しい。

の例でみてみると英語ではSVC、じゃあ動詞が無い日本語では???

その辺は細かく問われると例外を作りたくなる気持ちが発生して、「勉強していくうちにわかるようになるよ。時間があったら日本語の文法も少し勉強したらいいよ」のように言っちゃったりするんですよ。センスがあるもんだから。それでも大まかにいえば、SVOの語順が違うぐらいのことだと思っている節があると思うのです。

日本語の中心は述語である。

そこでぼくは、そんなこと言いつつも、少し日本語の文法に関して、そういえばちゃんと勉強したことないなと思い始め、一冊ぐらい本を読んでおこう、と思ってこの本を手に取ってみたんですね。

その本が言うには、日本語は述語が中心となっているというのです。のっけから少しクラっと来ませんか。

はい、英語の時まず何が大切かと訊かれたら、「主語」じゃないですか?この文章の主役は誰だ?が最も大切で、主語なしでは話が始まりません。でも日本語は述語というのです。日本語の主語は明確であれば省略できるぐらいのことはわかっていますが、言わないというだけでその文章の主役として重要だと思っていました。しかし重要なのは述語だというんです。述語と訊いて何を思いますか?

まあ、日本語の構造として動詞(述語)を中心とした塊という感じで思っていませんか?ところが違うんです。これがまた衝撃的で、述語の中心になるのは「動詞」「形容詞」「名詞」の3種類があるというのです。どうですかクラクラしませんか?述語って動詞、せめて動詞プラスアルファ(動詞句)であってその一部に形容詞だったり名詞が含まれる場合もあるもんだと思っていました。しかし形容詞とか名詞が述語の中心であるって考えたことありますか?

文章がどの品詞で終わるかで「動詞文」「形容詞文」「名詞文」と区別され、すべての文章がこの3種類に収まるというのです。だからこそ、日本語では「主語+目的語+動詞」のように動詞という言葉を使わず、述語という言葉を使うんですね。それが日本語なんだそうです。もう日本語と英語に共通事項はあるのか?とすら思ってしまいます。

それを読んで思ったんです。英語が苦手な人が「この日本語の文章には動詞が無い」といわれて密かに「(述語が)あるじゃん」って思っているとしたらこういうことなんじゃないか?

主語は重要じゃない!

さらに、驚きなのが日本語の主語は重要ではないというのです。つまり「誰が動作した」は日本語で表現する上で重要ではなく、「何が起きた」という感じのことが大切であるというのです。大切というのは、つまり日本語はそういう表現をする言語だというのです。

次に、ある文章を見て、「この文章の中の主語はどれ?」というとき、「主語は『は』とか『が』が主格を表す助詞なので・・・』とか考えますよね。でも例えば次の文章

  • そのお菓子は弟が食べた。

げ!「は」と「が」が同居してるじゃないですか。でも「英語ができる」人は「そのお菓子」は目的語ってことが瞬時にわかりますよね。というか、そう考えますよね。そのとき頭の中では「弟がそのお菓子を食べた」と変換しているからです。でもそれは英語の構造を前提にした捉え方なんです。だからそれを英語が不得意な人に説明するとしたらどうですか。得意の・・・

例外!

とする人も多いんじゃないでしょうか。どういうふうに例外?深いことは考えない。

もはやSOVでもなく、英語的に無理やり言えばOSVですよね。

ここまでくるとかなりフラフラしてきます。もう相当叩きのめされているかと思います。この本を二宮金次郎をマネして歩きながら読んでいたら、ぜったいまっすぐに歩けません。ドブにはまります。立ってさえいられそうにないです。

じゃあ、今まで英語が得意なぼくらが思っていた日本語の文法は何なんだと思いませんか。

実は、例えば先程の文章

  • 母が台所で料理を作る。

で「母が」が主語で、「作る」が述語(動詞)でという英語っぽい捉え方は「学校文法」と呼ばれるもので、古文の文法を引き継いでおり、日本語を母国語とした人を対象に教えられるものだそうです。一方、今説明したこの本で解説されている文法は「日本語文法」と呼ばれるもので主に外国人が日本語を勉強するためのもので、より実用性の高い、つまりより自然な現代の日本語を自然な仕組みとして組み立てているものなのだそうです。

英語が得意な人は「学校文法」を都合よく理解している?

何が言いたいかというと、英語が得意でそれゆえ日本語を品詞分解したり、日本語を英語にするときに文法を使って考えるのが得意な人は、自分のセンスを土台として、学校文法と英語の文法が対応するところだけに対応させて都合よく理解してきたということなんじゃないかと思うのです。

英語が苦手な人は「日本語文法」が染みついているのかも?

そして英語が苦手な人はそれができない。到底違うと感じる。おそらくですが、この本に書かれているような捉え方をどこかで学んだか、自然と学習しながら成長してきているため日本語を品詞ごとにバラバラにして並べ替えても構造が全く違って見えるんじゃないかと思ったんです。

だから例えばまた先程の文章で

  • あの人が責任者だ。(名詞文)

の動詞はどれ?と訊かれたとき、動詞=述語だから「責任者」?と思うけど悩んでしまう。なぜか?それは動詞は「動作を表す言葉だ」と習うから。そして、絶句してしまう。何度教えられても、もう体の一部となってしまっているのかもしれません。そしてこの文章には「動詞」はないよねと答えを聞かされる。その答えは「この文章には述語はないよね」と言われているように聞こえる。「え?あるのに(責任者でしょ)・・・。ないの?」と感じる。

そして次の文章も

  • 新緑がとても美しい。(形容詞文)

どれが動詞?と訊かれたとき頭の中では、(動詞はつまり述語のことだから「美しい」だよな?これ動作を表してないけどいいのかなあ)と考える、というかもしかしたら感じるだけで説明ができないのかもしれません。

「どこがわからないの?」と訊かれても言葉にできない。何か気持ち悪さだけを感じるのではないかと思うのです。それも中学生などまだ自己表現も難しい年ごろの子にはもう黙るしかないということが現状なのではないかと思ったんです。

・・・

と、まあ英語の文法と日本語の文法の得手不得手を中心に考えてみましたが、ぼくはこれを読んで自分の中で組みあがっていたはずの「日本語の文法」がグラグラしてきました。 わかっていたようでわかっていなかった日本語の文法。もしかしたら学校文法はわかるのかなとか思いはじめたのでそっちの本も読んでみたいと思います。というか、はじめはこの本はそういう本だと思って手に取ったんですけどね。

ここで言及した内容はもちろんほんの入り口程度のことで、もっともっと読めば読むほどに今まで日本語の文法として思っていたことと違うことが説明されています。母国語をこのように解剖したことがなかったのでとても考えさせられました。

いずれにしてもぼくが、もしも人に英語の基礎を教えるとしたら、下手な教え方はできないなと思ったり、教える対象の人が日本語をどのように捉えているかを見極めるのが大切なんだろうなと思いました。新しいアプローチが必要となるでしょう。

 


 

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