雑食思想の溜め池

生活していれば自然と湧き出て来る思いの数々。ここは、ぼくの中でゲシュタルト形成や拡張へ向けて流れ着いた、様々な興味の源泉からの思想が集う場所である・・・。と意気込んで始めたものの、だんだんとその色が薄くなってきました。

ギロチンの歴史~やさしい装置?!~Invention -iHeartRadio&HowStuffWorks

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ギロチンのことを知らない人はいないでしょう。実際に見たことなくてもなぜか知っていますよね。英語ではGuillotineと書き、発音はカタカナにすると「ギヨティン」とか「ギヤティン」に近い音になるようです。人の名前(苗字)に由来する単語で、その人の名はジョセフ・ギヨタンです。ギロチン風に言えば、ギロタンとなるのでしょうか。ただギヨティンにせよギヨタンにせよフランス人だったりドイツ語読みだったりですので「正確」な表記方法はわかりませんね。

そんなギロチンについて、Podcastで歴史を聞いたわけですが、ちょっと不思議な気持ちになりました。不思議というのは、その言葉を聞くと感じる感情のようなものが、その歴史を聴いていて感じたことと一致していない、ズレを感じたということです。そこでなぜ不思議に感じたかを少し考えてみたんですね。

出典---------------

Invention -iHeartRadio&HowStuffWorks

https://player.fm/series/invention/invention-classic-guillotine

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ギロチンと聞くと、ぼくはまず「何であんな装置を作ったんだろう」と思ってたんです。「あんな」というのはとてもぼんやりしたイメージでしたが、「恐ろしい」「残酷」「非人道的」「ホラー」などと形容されるイメージだと思うんですね。そこには、なぜ、こんな怖いものを「わざわざ」作ったんだろうという「普通」の人間だったら作らないんじゃないかという違和感もあったんですね。きっと。

ギロチンは死刑執行の手段ですよね。つまり人の命を奪う方法として必要だったとしても、あのような仰々しい装置でなくてもいいのではないか?と思うわけです。首を切り落とすのであれば、日本でも昔は介錯をしていましたよね。もちろん介錯はそれ自体が死刑の方法ではなく、切腹(自害)の幇助として行われていたのですが、一発で即死させる手段として斬首するわけです。それならギロチンを開発した中世ヨーロッパの社会で、介錯のような手段を死刑の方法にに採用していたとしていいのではないか?

多分そういうところになぜ?と思っていたのでしょう。刀や剣でサッと切り落とす。そうすることにそこまでの装置は必要ありませんよね。そういう意味でなぜ「わざわざ」作ったんだろうと思っていたわけです。

そしてそれは普遍的な感情なんじゃないかという決めつけが根底にあったからなんでしょう。

それが見事に覆された。そんなことを思いながらこのPodcastを聞いていたわけですが、その説明を聞いて自分の考えというか想像力が浅はかなことを感じてしまいました。

それは、ギロチンは人間性を尊重したからこそ考案されて製作された装置だったからです。どういうことかというと、人は誰でも相手が死刑囚だからといって殺したくない、という思いがあり、それを実現してくれたのが、ギロチンだったということです。つまり死刑執行人はボタンを押す、またはロープを引っ張るというちょっとしたトリガーを操作するだけであり、実際に「手を下す」のは機械であるがゆえに、執行人の心身的負担が減るということに基づいているのです。

確かに、どこかの国で反逆罪に処される罪人を銃殺の刑に処する際、銃を例えば5人に持たせ一斉に射撃するわけですが、そのうちの誰か一人だけに実弾を充填した銃を渡し、残りの人には空砲が充填された銃を持たせていたということも聞いたことがあります。それも実際には誰がその人の命を奪ったのかわからないようにして心身的負担を軽減するための工夫だったわけです。

今回のPodcastで説明されていた中世ヨーロッパ社会の死刑の手段には斬首刑以外にも八つ裂きの刑など、いくつも採用されていました。その中の斬首刑には、斬首担当の死刑執行人を職業とする人がいて、彼らは横たわった罪人の首をめがけて重い斧を振り下ろすというものだったようですが、執行人が未熟である場合、一振りで首に命中しないことがあったようです。つまりすぐに絶命させることができなかった人も多く、何度か振り下ろすことでやっと絶命させるということに対し、いくら罪人といえどもそのような残酷な形で苦しむことが人道的に好ましくないと考えられてきたわけです。

更に付け加えれば、そのような社会では死刑が公開処刑という形で市民の目前で行われることもあり、その民衆の中には子供もいたわけです。そこで苦しみながら悲惨な姿で殺されていくそんな光景を見せつけられたらたまったもんじゃない。その点を解決させる手段がないのか…。そのような流れの中で自然と誰かが製作をして発展していったわけです。そのためギロチンの発明者を一人に特定することはできないようです。

そんな流れに一役買ったのがギロチンの名前の所以となったジョセフ・ギヨタンです。ただ前述のとおり彼が開発したとか、発明したわけではありません。彼はフランスの医師であり同時に国民議会議員で、当時、すでに自然発生的に製作されて存在していたギロチンを処刑方法に提案した人物ということです。

そういうことを考えるとあのような装置で一発で失敗することなく処刑することができるということは、死刑を受ける側にも、執行する側にも「やさしさ」と考えられたと言えるのではないでしょうか。言われてみれば道理に叶っていますが、なんとも不思議な気持ちになりませんか?残酷な外観の中に人道的配慮が隠れてしまっているため、その見てくれに長い間抱いていた感情は、理屈では理解できてもそう簡単には排除できません。それが不思議な気持ちの正体なのかなと思いました。また、そう思うのはぼくにまだ思慮が足りないせいなのかもしれません。

出典---------------

Invention -iHeartRadio&HowStuffWorks

https://player.fm/series/invention/invention-classic-guillotine

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