雑食思想の溜め池

生活していれば自然と湧き出て来る思いの数々。ここは、ぼくの中でゲシュタルト形成や拡張へ向けて流れ着いた、様々な興味の源泉からの思想が集う場所である・・・。と意気込んで始めたものの、だんだんとその色が薄くなってきました。

食べ過ぎ防止&血糖値コントロール ~有機ココアクッキー

久しぶりに我が家の厚労大臣お墨付き商品(おやつ)を見つけたので紹介したいと思います。

ぼくらは食事後とかおやつ時間にネスプレッソと共に何かしらつまんで楽しむということをしていて、だいぶ前に投稿した自作クッキーとかを食べています。

でも、やっぱりそれだけではつまらないので他にも探しているんですが、彼女曰く「まったく買えるものがない!」とのことです。

「買えるものがない!」というのは「食べれるものがない!」ということです。

???

ぼくらの食意識を知らなければ、まだわからないですよね。

つまり添加物の他よろしくないものが入ってないものが少ないということです。

ぼくの自作クッキーの記事を読んでいただけたらわかりますが、使ってるのは

  • 有機ココナッツバター
  • 粗糖
  • 玉子
  • お茶葉orココアパウダー
  • チョコチップ
  • 米粉(無農薬栽培)

こんなもんかな?

こういう素性の分かるものしか使ってないんで安心しています。

興味のある方はこちら↓をご覧ください。

omoi-tameike.hatenablog.jp

 

でも自分で作れば好きなものだけ入れればいいんだからいいわけですが、売ってるものは保健的観点もあるんでしょうけど、イラん物が結構入っているらしいんですよ。

シュガー一つとっても、

「どうせ白砂糖つかってるんでしょ?」

「ほらやっぱり」

「保存料使ってるんでしょ?」

「ま、しかたないよね。」

のようなことを言いながらも、希望を持ってネットで探してるんです。

そんな中、見つけたらしいんです。

それがこのココアクッキー!

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【有機ココアクッキー×10】

他にもいくつか種類があって・・・

【有機モリンガクッキー×10】

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間違い探しのような写真ですね。

お見せしてもあまり意味がないかもしれませんが、若干緑がかってます。

そして

【有機くるみ&パンプキンシードクッキー×10】

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少し大粒の何かが入ってるのがわかりますね。

最後に、【有機チョコの低糖質クッキー×10】というのもあります。

これだけ今回買わなかったので写真はないのですが、その他のと見た目はたいしてかわらないでしょう。

今まで紹介したものは、10個セットなのですが、そんなラインナップをちょっとずつ試したい方に・・・

こんなセットがあります。

だんだん下手なセールストークみたいになってきましたね。

まだココアクッキーとモリンガしか食べてないのですが、食感としてはココナッツクッキーというんでしょうか、シェイブしたココナッツの実を固めたクッキーありますよね?

そういうクッキーは、ぼくはあまり好みじゃないんですが、これはおいしいですし、食べ応えがあります。

ただ・・・

我が家の厚労大臣がおすすめなのはその有機ココアクッキーと、有機くるみ&パンプキンシードクッキーオンリーです。

食べてもないのに何を言う!

って思われると思いますが、おそらくすべておいしいと思います。

好みはあると思いますが、こういうことに気を遣っているということだけで貴重なんですよ。

試したいんですよ。でココアは普通においしかったんですよ。

だから他のもおそらくおいしいんですよ。そう信じているんですよ。

ぼくがするレビューは食レポではなく、健康を観点とした商品の感想なんでそういう点からのおススメです。

細かい味については語れません。

ただおいしい!そして体にやさしい!というものを紹介してますからね。

そういうことなので、タイトルにある「食べ過ぎ防止&血糖値コントロール」に関しては、ぼくは何も触れませんが、おそらくそういうことを売りに発案されたと思われるのでそれを使っています。

長くなりましたが、原材料を見てください。

まずは、有機ココアクッキー

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続いて有機モリンガクッキー

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そして有機くるみ&パンプキンシードクッキー

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「一緒やん・・・」

「ほぼね」

さて、ここで我が家の厚労大臣は何に引っかかっているのでしょうか。

有機モリンガクッキーは

ホワイトチョコレート」です。

まあそれしか違いないですよね。

そして、言うまでもなく有機チョコの低糖質クッキーは「有機チョコ」が入っているんですが、その何がいけないの?

よーく見てください。

はい。「乳成分を含む」と書かれてます。

そこなんです。

チョコが有機ってことは有機カカオを使っているってことなんでしょう。

そこはとてもいいのです。

でもチョコ自体は商品なのでその他の原料に関してはブラックボックスなわけです。

うちでは牛乳、チーズを含む乳製品は摂取しないようにしています。

つまりぼくらが食べるチョコには乳製品は使われていません。

 

omoi-tameike.hatenablog.jp

 

そういうことで、これについても長くなるんでここでは説明しませんが、すごいでしょこの徹底ぶり。

彼女は素人の割に基準はかなり高度なところを行ってるんで、そこまで気を付ける必要ないだろうという意見もありますが、チリツモという言葉もあるし、せっかく気を遣っていいものを摂り込んでもよくないものを摂取することで相殺したら意味ないという考えですね。

ぼくもその辺はとても共感できるので、いつも「ははーあ」と恐れ多く感じてます。

ということで、そこまで徹底する必要がないという人が大半だと思うので、そういう方は、ご自身でその辺のフィルターを掛けてこの記事を読んでいただけたらと思います。

商品側としても、安全にそれなりのコストで作るとなるとそうなるよねっていうところが現実だと思うので、こういう商品を作っていらっしゃるこういうショップは本当に尊敬します。

かなり高額になるのはわかりますが、それよりも健康にいいもの、しかもおいしいものを実現しているんですから付加価値はしっかりあると思います。

実際、うちの厚労大臣はその付加価値を買っているわけですからね。

ちなみにこのショップはGlutenFree and LowSugar Kururiといって、ハンディキャップをお持ちの方の福祉支援にも力を注いでいらっしゃるというから、そういうところにはぜひとも協力したいという気持ちになりますよね。

ということで、健康志向の方はぜひお試しくだされ!

動脈のルールはすばらしい ― ってどういうこと?

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omoi-tameike.hatenablog.jp

(この記事は上↑の話から始まってます)


あれはいつごろでしたかね。

まあ、10年近く前のことですが、依頼された翻訳案件がオステオパシーに関してだったんです。

もちろんその時のオステオパシーに関する知識はゼロです。

そして書かれている内容や文書中にちょこちょこ使われていた写真が、当時の雰囲気にあってなさそうな古めかしいもので、なんじゃこりゃという「怪しい」イメージを持ちながら読み進めたのを覚えています。

施術ベッドに横たわったり座ったりしている人に白衣を着た人がいろいろな技をかけているような写真があるわけです。

その様子は整体やカイロプラクティックを連想させました。

ぼくよりも一回り近く上の上司は内容をまったく信用していない様子でしたが、ぼくは読んでいてなるほどなあと感心しておりました。

そしてその翻訳にあたりいきなり知らない単語が出てくるわけです。

筋膜

オステオパシーにおいての主人公はおそらく"fascia"ですね。

これを聞いたことある人はおそらくその道の方ぐらいじゃないですか。

日本語では「筋膜」といいますが、日本語できいても知っている人はかなり少ないんじゃないでしょうか。

翻訳していた文書のいたるところに出てくるので、これを知らずに訳すことはできないので調べました。

調べていてだんだんイメージが膨らんで行ったものをアウトプットしてみるとこんなかんじになります。

スーパーで売ってる鶏肉を想像してみてください。鶏肉ってある程度筋肉のブロックでまとまっていますよね。それらを引きはがそうとするとそれらが薄い膜で繋がっているのがわかるかと思います。

その膜が筋膜だと思われます。 

筋膜は人間にもあり、何も筋肉周りだけではなく体中に張り巡らされており、すべてがその筋膜で繋がっているらしいんです。

その事実が人間の体を一つの組織(ユニット)として捉える元となっています。

・・・と解釈しております。

動脈のルール?すばらしい?なんか変

オステオパシーは、アンドリュー・テイラー・スティル博士によって、1874年(明治7年)にアメリカのミズーリ州徒手療法として発表されました。

そのスティル博士の言葉としてよく引用される言葉があります。

”The rule of the artery is supreme."

さて、オステオパシーのことを調べていてよく見かけるこの言葉がしばしば

「動脈のルールはすばらしい」

と訳されているんです。

違和感を覚えつつも、そのうちわかるだろうと期待しながら読み進め、オステオパシーとは何ぞやということを理解しながら訳していったんですね。

そして、かなりの分量を訳し終わった後、度々顔を出すこのセンテンスの訳は、当たらずと言えども遠からず的なもので、おそらく今まで残ってきているのではないかと思い始めました。

主観 対 客観

そしてまず、引っかかったのが「すばらしい」というところ。

supremeという単語は、最高裁判所の「最高」にあたる単語です。

これを「すばらしい」と訳しているのですが、ここでは「ルール」が「すばらしい」という「すげー!」「最高やん!」という感覚的に上位にあるという意味で使っているのでしょうか。そうではないと思ったんですね。

もしも、スティール博士が主観や感覚的に言うなら、great, wonderfulという単語を使うと思ったんです。

まあ、少し重々しく表現しようとしたのかな?とも思えるけど、supremeはやはり、客観的に権威を持って頂点にいるという意味で使うものだと思うんです。

次に「ルール」です。

体を治めているのは?

これには言わずと知れた「規則」という意味があります。

なので、この「動脈のルール」というものがどういうものかわかりませんが、それが何にも優先されるという意味になると思うんです。

そうなると「動脈のルール」ってどんなん?って気になりますよね。医学の専門的なルールがあるのかなと調べたんです。

しかし、どこをどう調べてもぼくにはその「動脈のルール」を見つけられなかったんです。

そうなると「rule=規則」という前提が間違っていると考えざるを得ません。

では何か?

ruleには「支配」「統治」という意味もあります。

王政時代などで「王様による統治」というときの「支配」です。

そう考えるとsupremeと合わせて、

「動脈による支配」=「絶対(最高)」

だというものだと考えられます。

「動脈が支配する」ってどういうこと?

って思うかもしれませんが、ぼくはその後、曲がりなりにもオステオパシーについての知識を得ていくにしたがって、スティール博士が表現しようとしたことをうっすらと想像できるようになってきました。

それは血液(体液)の循環を最優先に健康な状態に保つことが身体の健康を維持することに最も重要なことだということではないかということで、ぼくは一人で納得しました。

しかし、当時、The rule of the artery is supreme.の対訳は「動脈のルールは…」というもの以外、ネットではぼくは見つけられませんでした。

なので、文書の表現の統一性も考えて、そのセンテンスが現れるたび、その訳を充てていましたが、五月雨式にそれ以前に納品した訳文に対するコメントとして考え直した方がいいかもしれないということを添えた記憶があります。

オステオパシーホメオスタシス的思考

長々と翻訳における奮闘記ぽいものを書いてしまいましたが、オステオパシーでは筋膜が身体の各パーツをつないでいて、そこを流れる体液を滞らせることなく維持して自然治癒力を高めるという考え方がベースにあるのです。

それで、からだ中のさまざまな個所にある筋膜の滞りを取り除く施術方法がいろいろ見出されていったわけです。

いずれにせよですね、ぼくはここでオステオパシーについて深く語るつもりはありません。それだけの知識もありません。ただ当時翻訳しながらその考え方には深く共感したんです。

興味がある方は、オステオパシー協会とかがあるので調べてみてください。

気を送るとは?

前回の記事でレイキや気功で気を送るってどういうことかと問いかけたと思いますが、その答えがここにあります。

オステオパシーで言うと血液などの体液を循環させることがとても重要なのと同様、気功やレイキでは「気」を循環させるということがホメオスタシスにおいて重要な役割になるんです。

施術者は、手を頭に当てて気を頭から足の方へ流し込むのですが、施術者自身は地球や宇宙から気を得て流し込むポンプのようなイメージだそうです。

その「気」って何?・・・そこはここでは説明することは止めておきましょう。

カイロプラクティックとの比較

次にカイロプラクティックですが、これも筋骨格系の歪みを整えることで、疾患に対応するというものです。

やはり解剖学などをもとに、病気(症状)などの根本(原因)を探し、骨の歪みなどで圧迫されたりして閉塞されていた神経経路を開放するような施術で、体に回復能力を与えるというもので似ていると思います。

すべては自然治癒力の増強

病気は病院で、薬や放射線で取り除くという考え方とはかなり違い、自分に備わった力が治すという方向性が、レイキにせよオステオパシーにせよカイロプラクティックにせよ共通してあると思うんですね。

そしてそのベースにある各々の哲学が若干違う。

ぼくの場合はオステオパシーというものをいわば無理やり勉強する羽目になった?ために知ることができました。そこから気功やレイキという力も問題なく信じることができました。

西洋ではその地位は確立されつつありますが、日本では特にレイキやオステオパシーはほとんど市民権を得てないような医学分野だと思いますがいかがでしょうか。

そういう状況では、何の外的圧力なしに自分から知ろうとすることは難しいかもしれません。

でも、だからといって怪しいものではないと思うんですね。目に見えない哲学を上辺だけ聞くと少なからず怪しく感じてしまうのは仕方ないことかなと思います。

西洋医学に限界を感じてからそのアプローチを試みてもいいとは思いますが、少しずつでも知識は蓄えて行くのがおススメです。

先日のリンパ腫やリンパ浮腫は、いずれも体内を巡るリンパ液の問題ですから方向性はぴったりに思うのは素人だからでしょうか。

オステオパシーカイロプラクティックは体を曲げたり捻ったり押したりして施術します。

気功やレイキは手をかざすだけというまさに究極の「手当」です。

いずれも施術が終わったときの体の温かみは気が体内を活発に流れ始めた感覚で、一縷の希望や心の平安を得ることができると思います。

少しでも興味が沸いたら、是非、どのようなものか自らの手で調べて、確認して実行してもらえたらと思います。

One for All, All for One・・・ちょっと違うか?

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(この記事は上↑の話から始まってます) 

 

オステオパシーの話は次回にするとして、ちょっとした前置きを書こうかと思います。

西洋医学と、オステオパシーやレイキのぼくなりの違いは何かというと、ザックリいうと、全体と部分ですかね。

全体 VS. 部分

「部分」というのが西洋医学で、専門性を追求しどんどん細分化して研究が進められる分野です。

つまり消化器科とか循環器科とか脳外科とかそういうふうに専門性を持たせてその分野に詳しくなっていくんですね。

それが医学の発達や発展というものなのかもしれません。

とはいえ、よく具合が悪いけど専門医に診てもらって、精密検査で異常なしという結論になるのはこの発展が裏目に出たと言えるんじゃないかと思うんですね。

それが何か?

それは次の「全体」という概念の方を考えてみるとわかるかもしれません。

ホメオスタシス

全体というのがレイキやオステオパシー、ついでにいうとカイロプラクティックも根本は同じだと理解しています。

ホメオスタシスという概念に基づいた考え方

簡単にぼくの理解を言うと、人間の体は大きな「一つ」の組織で、人間に起きた不具合はパーツで考えるのではなく全体でバランスを取ることを考え、不具合箇所の根本にアプローチするというもの。

なぜそう考えるかというと、人間の体が恒常性(ホメオスタシス)に従って自然治癒を行い、からだ全体でバランスを取ろうとするものだからということです。

簡単な例でいえば、口臭ですかね。

酷い口臭の原因が、実は深刻な便秘だったというような場合です。

口臭の場合、その原因の一つに、宿便期間が長すぎて、その行き場を失ったニオイ成分が腸壁から浸透し血管に入り肺や胃へ回り最終的に口から外部に漏れることになったというようことがあるようですね。

口臭の原因が、そこから遠く離れた部位の異常が原因だったというのも、口ばかりに注目していたらわからなかったものですね。

便秘という不具合によりホメオスタシスのバランスが崩れ口臭という結果で現れているんです。

もしもそういう原因の場合、歯や舌ばかり検査したりレントゲン撮ったりしててもわからないでしょうね。

だから、口が臭いということで口腔外科などにまず行くのはいいですが、行ったとしてもわからないかもしれないということです。まあ、ぼくが知っているぐらいだからそのくらいのことはわかるかもしれませんが、つまり人間の体調の不具合はその不具合箇所ばかりみてもわからないことが多いということで、それは精神(気持ち)にも及ぶこともあるかもしれません。

風が吹くと桶屋が儲かる

先程の専門医の精密検査で異常が見つからないというのは、そういうことですね。

ホメオスタシスという視点が欠如して、近視眼的にものを見過ぎていると、大切なことを見落とすんじゃないかというわけです。

部分的に見ても異常ないというのはそういうことです。

だから体全体を俯瞰して診断しないと痛みの根本は見つけられないという考えがホメオスタシスの根本にあると理解しています。

そういうことを考えていたら、「風が吹くと桶屋が儲かる」という言葉や、「バタフライ効果」といった現象を連想しました。

いずれも、原因と結果の場所がかけ離れていることの例えですよね。

総合内科

おそらく西洋医学でその概念を受け持っているのが総合内科かなと思います。

今の世の中、専門性が高いスキルがあった方がいい場合が多いかもしれませんが、この横断的な知識というのはとても重要だと思います。

総合内科は、以前のぼくには何でも屋というイメージがあって、失礼な話ですが、風邪をひいた時のお医者さんぐらいに思っていましたが、今は相当幅広い知識が必要でとてもクリエイティブな分野のお医者さんではないかと考えを改めています。

以前どこかのテレビ局で、名医を自負する現役のお医者さん数名が集められ、実際にあった病気の症例で、検査結果や症状から病名を推理して当てるという番組をやっていました。

それを見たときは、何かあったときは、まさにそれができるお医者さんに診てもらえたらいいなとおもいましたね。

レイキの能力 

そういうわけで、ぼくたちにはこのホメオスタシスという考えがとてもしっくり行くんです。

だからといってレイキの施術者が身体全体に精通しているかっていうとそういうわけではありません。その人の知識の差によりますが、基本的には施術者は手で身体の上をまるで金属探知機のようにホバリングさせることで、調子の悪いところを発見できます。

手足のように構造が複雑ではないところは、比較的ピンポイントでその個所を指摘できるようです。

しかしボディーのように体の前部と後部に重なり合って臓器があるところだと、「この手の下のどこかが悪い」ことはわかっても、その臓器を特定できないかもしれないし、特定できてもその臓器がどのように悪いのかまではわからないようです。

もしかしたら熟練度や解剖学の知識がある人はその辺を組み合わせてわかるのかもしれませんが、とにかく本人がそのように感じるだけらしくほんと不思議です。

そうやって見つけた箇所に「気」を送ることで疾患の種類に限らず、改善するというものです。

なぜ、気を送ると改善するのか?

そこはオステオパシーカイロプラクティックにも通じるところがあります。

ということで、オステオパシーの話を次回しようと思います。

信じるか信じないかは・・・何次第?

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 (この記事は上↑の話から始まってます)


今回、その夫婦と話をしたところ、リンパ腫に加えて腕がむくんで、痛みも出てきたという話を聞きました。

そしてその手を見た途端、妻が

「同じだ・・・」

そう言って自分の大切な人をがんで失ったとき、同じようになったことを話し始めました。

リンパ浮腫

ぼくがその名称を知ったのはその時でした。

リンパ腫とリンパ浮腫の字面は似ているけど全く違うのです。リンパ浮腫はがんの治療部位に近い腕や足などの皮膚の下に、リンパ管に吸収し切れなくなったリンパ液が溜まってむくみ膨れていくものです。

これはリンパ浮腫でも、「がんの治療後」にできる続発性(二次性)リンパ浮腫と呼ばれるらしく、もう一つは先天性のもので、よく「リンパ浮腫は原因がわからない」といわれるらしいですが、それは先天性の場合。

ぼくの大切な人の場合は状況的には明らかに続発性ですね。つまり、リンパ腫の治療(化学療法含む)との関連性はとても見過ごせないと思いますね。

人それぞれ進行具合が違うらしいですが、軽傷から中等症にさしかかるあたりから傷みなど自覚するようになるらしく進行するものらしいです。

「らしいらしい」としか言ってませんが、ぼくも付焼刃的に情報を得ているので「らしい」としか書けないのでその辺はご了承のほど。

ただ、世の中わからないことだらけです。

人それぞれ違うのでお医者さんですら、おそらくいろいろなことに断定はしないでしょう。そこは素人と患者自身の強みで自分の状態をネットなどに溢れている情報と照らし合わせることで自分にとって正しいと思える道を自分の責任で仮定して進めばいいんです。進むしかないんです。進んで違うと思ったらやり直すしかないんじゃないでしょうか。試行錯誤ですね。

こういう時こそ「自分のことは自分がよくわかっている」と言えるんじゃないかなあと思います。

たまに風邪を引くぐらいの人は…どうでしょう?まだお医者さんの方がわかってるかもしれませんね。

ま、そんなことはどうでもよく、今、2人のケースを見てみると両者とも痛みを伴っています。共通しているのは二人ともがんということです。

今の病院では、特に手の膨らみを問題視されてないようでしたが、この二つを関連付けられないのであれば、ちょっと考えものじゃないかな。

気功

妻が話を続けます。

その大切な人のケースでは、毎日、というか常時痛みが続いていて、かなり進行した後に知り合いの気功師にお願いしてたまたまスケジュールが合ったとき一度施術してもらったところ、スーッと痛みが引いたというのです。

それまでの数年間、寝ている間も含め痛みを感じなかった瞬間がなかったところに何年振りかの無痛。その時の幸せはなかったようです。しかし、気功の作用が切れたときに戻って来たその痛みはさらなる激痛だったようです。

そう思うと定期的に施術を受けられない限りたまに受ける施術の意味を考えてしまいます。

このように書くと、気功って一種の痛み止め?と思われるかもしれませんが、そうではありません。

気功の施術を繰り返していくうちに徐々に痛みを感じる期間が短くなっていき、最終的には必要なくなるようにするものです。

ちょっと例えが下品かもしれませんが、ドブ掃除のような感じですかね。完全に詰まっているドブに一筋の水の通り道をつくってあげるだけで、水は流れ始めます。しかしすぐにまた詰まってしまいます。

詰まるスピードより掃除でゴミを取り除くスピードが速ければ水は流れ続けます。そして最終的にすべてゴミを取り除き、ゴミを流さないようにする(健康管理をしっかりする)ことで、その状態を維持する。

でも、やはり西洋医学で使う薬の力は強いので、もしも難聴の薬がリンパ腫の発症に加担しているとしたら自然治癒力を大きく打ち消してしまいそうな気がします。

実際、その気功師の方はまだ若いのにとても腕の立つというか、熟練度が高く、そういう人で世界を飛び回っていたためその人に頻繁に会うことは叶わず一度きりで、やはり病魔の速さは、特にその時点ではかなり進行していたので、逆に酷いことをしたと言っていました。

気功はその言葉自体はおそらく聞いたことがある人は多いんじゃないでしょうか。

ドラゴンボールのような武術的なものがあるからかもしれません。

ぼくも詳しいことはわかりませんが、やはりこういう力は精神との繋がりを大事にしており、肉体と精神を一つのユニットとして考え、ある不具合が生じたらそれに対処するためにも部分的ではなく全体的に健全になることを目指しているようです。

あるときは悪者であると考えられるがんでさえも、その出現にも理由がある(自分を振り返るチャンスをくれたなど)と考え、恨みや憎しみなどの気持ちを持つことなく、「出現してくれてありがとう」とそれをも含めた全体で捉えることが大切だということらしいです。

今の世の中インターネットで様々な情報が入手できるので、詳しくはご自身で調べていただきたいですが、ぼくの理解ではそういうところですね。

レイキ

そして気功に似たもので、レイキというものがあります。

たまたまうちのご近所さんでレイキを使える人がいて、実際に施術をしてもらったことがあるので、今やとても身近なものとなっています。

とはいえ気功にしてもレイキにしても深く研究したわけではないので下手なことは言えませんが、これもとても共感のできる哲学を持っています。

その部分をよく理解して、自分なりの答えや考えを持って自問自答すればだんだんとその世界の深さに共感できるようになると思います。

中でもレイキは一般には知られていないだけで、世の中には結構いるもんです。ただ能力の差(熟練度)があるし、公に看板を掲げている人は少ないと思うので自然と出会うのは難しいかもしれません。

しかし今の世の中インターネットがあります。ここがいい入り口になるでしょう。

ぼくらは今や西洋医学よりもそういう補完療法の方に希望を感じています。国家試験や科学の後ろ盾がないだけに、その人の力量を推し測るのは難しいですが、自分を鍛錬する気持ちがあればそういう能力を持った人との「ご縁」も引き寄せられる、もしくは引き寄せられるものだと思っています。

 

話が逸れましたが、なにはともあれ、あの強烈な連続した痛みに一時的にでも平穏な時間をもたらした気功の力には希望が感じられるのは浅はかでしょうか。

レイキってなんでカタカナなん?

気功は中国の方からの伝来ということは想像つくと思いますが、レイキももしかして海外のもの?と思うかもしれないけど、もともとは臼井甕男さんという方が日本で始めた臼井霊気療法に起源があり、これが海外に出て独自に発展したものなんです。日本生まれの海外育ちなんですね。だからカタカナなんですね。

レイキという名前から胡散臭く感じる人も多いと思いますが、そう言う例が身近にあって歴史とかを中立な目で見てみると納得せざるを得なくなります。

こう書くとぼく自身信じてなかったんかというとそうでもなく、別の方面からそのような力は信じていました。

それはオステオパシーです。

この話は次回にしましょう。

機械の自然治癒力

なんとアホな見出しだと思いますよね。

書いてる自分がそう思っています。でも起こりうるんですね。今日はそんなお話です。

昨今のコロナ禍とは関係なく去年の今頃ですかね、こんなのを買ったんです。

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手洗い用石鹸のオートディスペンサーです。

上半分が石けんのボトルでボトルごと詰め替えることができます。

これのいいところは、ご存知の通り、手を洗う時、手をかざすと泡が出てくるので、石けん入れを触らないで済むところ。今ではほとんどの公共のトイレとかに備え付けられているんじゃないでしょうか。

やっぱりポンプ式だと「触ったところを洗わないと汚い」と特に気にするうちの厚労大臣は家庭用のを見つけたんですね。

今ではかなり安くてあるんですね。でもやっぱり安いからなんでしょうか。タンクを3つぐらい使った頃に動かなくなったんです。

説明書を読んでも原因はよくわからないし、電池を変えても動かないので製造元に電話して、電話口で問診してもらいました。そしたら親切にも交換してくれることになりました。ただ、製造が追いついていないらしく、新しいのが来るのにかなり待ちました。

そして新しいのが届いてまた2~3ボトル目ぐらいですかね。

動かなくなりました。

泡が出るときの音がいつも頼りないけれど、そのパターンがちょっと苦しそうに聞こえ、ついには出なくなりました。

再び電池を入れ替えて、少し動いた!と思っても泡は出ずすぐ止まる。

またか・・・。

電話するか・・・。

でも2回も電話するの嫌だし、ウソついてると思われるのもイヤだしでモジモジしているうち1か月ぐらい過ぎてしまいました。

1か月後

そういえばこれどうしよう、もう捨てるか・・・

念のため一度確認しとくか・・・

と最後に一度だけのつもりで電池を入れてスイッチを入れて、手をかざしたら・・・

何と動き始めたんです。

えっ?

まあ、最初だけだろう。

そう思ってしばらく様子見をしていましたが、1か月程経った今でも使えています。

こいつ生きてんのか?

機械にも自然治癒力があるのか?

と思ったわけです。

電池ってしばらく置いておくと復活することがあるじゃないですか。

そんなイメージでしょうけれど、機械が自然に治るんだったら、人間の自然治癒能力が負けてられん。負けてなるものか!

そう思ったというお話でした。

この違いって知ってた?

リンパ腫 と リンパ浮腫

正直、「リンパ浮腫」は知っていましたが、「リンパ腫」については想像の域を出なかったんです。

というか、あっているにしろ間違っているにしろ、想像できていたため気にしていなかったというのが正しいかもしれません。

「腫」というもの自体が腫瘍というもので、一種の「がん」という認識はありましたが、なぜかまだ治りそうというか「がん」よりマシというイメージはあったんですね。

そもそもがんと腫瘍の違いってなんだ?

いつも「一種のがん」で済ましていて、その都度、想像してはいましたが、この際なので、ある病院長の監修の元書かれたサイトを参照してみました。

上皮組織か否か

専門用語を使って短く説明すると

上皮組織にできたものががんで、それ以外のところにできたものが腫

ということらしいです。

一般人のぼくを含め、この説明で納得する人は少ないでしょう。

じゃあ上皮組織って何ってなるわけです。

上皮組織って何?

皮膚は体の外にあることはわかりますよね。その皮膚が上皮組織で、どうやら、この概念を考えるときは、その延長線として口から肛門までの管も外とみなすらしいです。つまりは口から食道、胃、腸、そしてそこにつながっている膵臓、胆管を通じて十二指腸につながっている肝臓も上皮組織にあたるのです。

そういった上皮組織ががん化したものをがんと呼ぶということです。

なので、このサイトには書かれていませんでしたが、肺も口につながっているので上皮組織なんでしょうね。実際肺がんと言いますもんね。

そして上皮組織と繋がっていない骨や筋肉ががん化したものを肉腫と呼び、血液の中でも白血球ががん化したものを白血病、リンパ球が悪性化したものをリンパ腫と呼ぶそうです。

まあ、せっかく患ってしまったんだから、少しは賢くならないとね。

ああ、引き寄せちゃったかー

大切な人がリンパ腫になったと聞かされました。

現在のコロナ禍において、「できるだけ病院には行きたくないなあ」、「こんな時には病気にならないようにしなくては」と自分のことは思うことが多くなっていました。

自分のことを思うと同時に、その人はもう80歳前の高齢だし、もともと体が強い方ではないので、何も患うことなく過ごしてくれたらいいなと考えが及ぶことも多々ありました。

でもいろいろと間が悪いというか、「なぜこんな時に…」ってことが起こることが多い人なんで、知らされたときは「引き寄せの法則」が働いて起こってしまったのかもしれないなとか考えていました。

まあ目に見えないことだけに、想像するだけなんだけど、普段の心がけって大事ですよね。

で、罹ってしまったことは仕方がない。人間は少しずつ故障していくもんだからね。

深刻な表情

話が急展開?しますが、ぼくは超ド近眼です。

小学生の頃から視力が少しずつ悪くなっていきました。小学生低学年時の検診では1.2あったのを覚えています。それ以降毎年悪くなっていって、その度に親に値を伝えると「えっ!そんなに悪いの」とか深刻な顔で「悪化してるのか」的なショックの言葉を言われたことを覚えています。だからって眼鏡をかけたらどんどん悪くなるからって言われて「そうかあ」って素直に同調して、メガネを作らず視力回復のために眼科に通ったり、暗くなってボールがよく見えないのを我慢して野球をやっていたのを懐かしく思い出します。

まあ確かにこれから何十年も使うことになる目がもう悪くなっていくのかと思うと親の立場からしたらショックでしょうね。またそれを深刻に受け取ってしまうのも仕方ないことです。でもそれを言われた子供は、目が悪くなるってそんなに重大なことなんだってことを無意識に知って、子供ながらに親を困らせたくないというか、心配させたくないという思いが働いて、よく見えなくても見えるふりをしたもんです。でもやっぱり近眼は進行してしまったんですよ。

だから自分が大人になってからは同じような境遇の人が目の前にいるとき、その人が大切であればあるほど、その気持ちを表すことはしないように心がけてきました。

誤解しないで!

あ、念のために書いておきますが、間違っても親を憎んだりそういうことではないですからね。こういう気持ちを経験するのも成長過程ですから。それに当時にしてみたら視力回復のためにかなりの費用をかけてくれたことに感謝してます。

それにもかかわらず回復しなかったのは申し訳ないなと、もちろん子供の頃はそんな感情などなく、自分も単にこれ以上目が悪くなったらいやだって思っていただけでしょうけど、でも今思い返すと自分もいやだけど、そう思わせてしまうのがイヤだなと思ってできるだけ眼鏡をかけないでいいように頑張っていたんだなって思いました。

心配の効能

つまりは、そういう深刻そうな表現をして事態が好転するわけじゃないですからね。心配すればするだけ症状が良くなっていくならいくらでも心配しますが、そうでなければ当人に与えるストレスの方が大きくなり悪循環を与えるだけなんです。

引き寄せの法則をうまく使おう

まあ、引き寄せの法則もそのようなものの一つで、何事があっても「大丈夫大丈夫」って思っていることが大切なんです。とはいえ科学的根拠がないため大概は無責任に聞こえるので、まず本人がそう思うことが大切でしょう。

斎藤一人さんという銀座まるかんの創業者の方がいらっしゃいますが、その方がそういう話をよくされています。ぼくはあまり聴いたことはないですが、本はいくつか読んだことあるし、それ系統の話は他にも多くの人がしてますし、ぼくは賛成で好きで、実践するように心がけています。

これからが大切

だから、今回その人がリンパ腫だと聞かされた時も、周りの雰囲気が重くならないようにすることが大切だと思いながらファーストリアクションをしたつもりです。

どう感じたかな?

ことが事なだけにリンパ腫を軽視しているように思われるかもしれないけれど、決してそういうことではなく、重大なことはもうわかり切っているんだから、それを乗り切るためには如何に気持ちを楽にして、戦いやすくしてあげられるかが大切なことだと思います。そして一緒に考える。

だから、まずは本人がどのようにその病気に向き合うかです。本人にその気がなければ始まりませんが、その本人の気持ちに沿って一緒にこれから何ができるかを考えて、明るい未来を引き寄せたいと思っています。